2013年10月16日水曜日

『情熱大陸 リアル脱出ゲーム』に心躍らなかった理由


2013年10月13日放送の情熱大陸『リアル脱出ゲーム』の加藤隆生さんの回を観た。


放送を観て、愉しいのは愉しいけれども、ぶっちゃけ心躍るものではなかった。
体験していないモノにあーだこーだ言うのもどうかと思うのだが、理由はふたつある。


場所の再活用という点で、場所の再生には至っていない


例えば、今はなきマッスルに対して、何より素晴らしいと感じていたのは、プロレスを笑いの道具とも、ギミックとして使いつつも、最終的にど真ん中なプロレスを魅せることで、逆にプロレスの底の深さを魅せていたことだ。プロレス好きなヒトはハイコンテキストな筋で愉しめ、プロレスを全く観ていないヒトでも『マッスル』を観戦して、プロレスにはまるキッカケになったヒトは多い。

ヒトが乏しくなっている場所でイベントを行って、その場所を再活用し、そこが一時的に活性化することも素晴らしいのだが、それがなくなってしまったしまったのであれば、再びそこは寂れた場所となってしまう。

大学院の先生と話した時にも、同じようなことを言われた。僕らが街でアートやデザインで単発的に何かを行ったとしても、それを行うヒトがいなくなっては結局は無に戻る。そこにいるヒト達にそういう意識やイデオロギー的なモノを根付かせないと意味がないのだと。

もちろん、場所自体を変えてしまい常設する場合は例外だし、競馬場で行われた『リアル脱出ゲーム』で競馬にハマる人達がいるから一概には言えないけども。男女の出会いを求めるのであれば、街コンに行ったほうが手っ取り早い。街コンは素晴らしい。あれは誰もが幸せになれる。話がそれた。



『物語を体感させる』ことの不足感


結局は1つ目と同じことなのだが、その場所や登場人物にどこまで没入させることができるかということ。

映画に求心力をもたせるためには、どうすればよいか。それは主人公を窮地に立たすことだそうだ。結局、”謎”って言ってもなぞなぞなので、それを解くことしかなく、物語の中に身を置くということにはならない。

(こちらも結局、行けずじまいで言うのもなんだが)お化け屋敷プロデューサーの五味弘文さんが手がけるお化け屋敷のほうが、物語に没入させるという点では優れているのではないだろうか。それに男女の出会いもそういう境地のほうが、ストックホルム症候群のようなもので惹き寄せられあうのでは。



のめりこませる技術 ─誰が物語を操るのか 』という本を読んでいる。例えば、映画『ダークナイト』の公開前に、何千という人に謎のメールが届けられ、一部のヒトがそれを解き、その謎を辿って行くとある場所に辿り着き、あることをする。それを解いた数十人の人達にIMAXシアターへの招待がされ、そこでは『ダークナイト』の冒頭部分、ジョーカーが銀行強盗をする場面が上映された。謎を解いたヒトの行動はジョーカーの逃亡に一役担っていいたことを映像を観て知るのだ。その後、さらに謎はばら撒かれ、公開開始までに140万人がその動向を見守った。そこではまさに現実と仮想空間が混合されて、謎がちりばめられるほど、物語とのシンクロは進んでいったのだ。

この本にはこうした事例が他にも多く乗っているが、似たような経験をしたことがある。


俺の屍を越えてゆけ 』というゲームだ。1999年にプレステで、2011年にPSPで販売された、簡単にいえば人間版ダービースタリオンみたいなゲームだ。約1000年前の日本の京都を舞台に繰り広げられるある一族と鬼の争いの物語で、鬼は一族が2年間しか生きられない呪いをかける。それを哀れにみた神様達が一族と合祀(≒ 交尾)して、新たな子が産まれる。その子はまた別の神様と合祀して、子を産んでいく。敵を倒すたびに得られる経験値によって、合祀できる神様のレベルも変わっていくため、子はどんどんと強くなるのだ。

(ここからは完全にゲームのネタバレなので、プレイするヒトは読み飛ばして!!)

ゲームを開始する前に一族の名前を自分の苗字にすることを強く推奨される。鬼を退治し、ゲームをクリアした際に、呪いが解け、そして1000年後…という風に今の自分が登場するのだ。ゲームをクリアするまでに子供は20人ぐらい産まれては死に、それぞれが妙に愛着をもったキャラになる。それを踏まえた上でのその瞬間なので、画面上の出来事が自分の身に降り落ちたような感覚になってしまった。あれは素晴らしい体験だった。(※なんと2014年夏に俺屍2が発売されるそう!歓喜!!)


ちなみにこのゲームを創った桝田省治氏の著書『ゲームデザイン脳 ―桝田省治の発想とワザ― (ThinkMap)』はこのゲームの誕生の裏側やゲームバランスの妙、また企画の妙について色々と書かれており、オススメです!頭がいいは、この御方。



加藤隆生さんは『決定版・ゲームの神様 横井軍平のことば 』において寄稿文をライゾマティクスの真鍋大度さんとAR3兄弟の川田十夢さんと共に出されていた。”枯れた技術の水平思考”という意味では普段観ている日常の再発見という意味では間違ってないのだが、他の2人と比べると若干、意味合いが異なるような気もしなくはなく。少なくともAR3兄弟の情熱大陸のほうが熱かったし、イデオロギーを受け継いでいるように思える。(この本も目から鱗でまくりでした。)

とはいえ、いっぺんは『リアル脱出ゲーム』に行かんと。
行った人達を満足させているだけで充分に素晴らしいと思うし、
行った後で改めてこの文章に対して、ごめんなさいと言うかもしれないし…。

体験にいかに物語を重ね合わせるかは、場所の再活用という点でもおもしろい。
大学院での研究するテーマにもなりそうなので、もう少し考察を重ねます。



  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年10月15日火曜日

【YCAM】120%で遊ぶ子供の行く末は

山口県のYCAMにいる。



iamasと文化庁主体の身体メディアの教育プラグラムの一環のために20日間ぐらいいる。
滞在中は設営を中心に行っているのだが、休みという名の自由時間では、山口市中で行われている10周年の取り組みをみたり、YCAMにある施設などを見てまわり、スタッフの方たちと話をした。

特に興味深いのはコロガルパビリオン。


こどもが自分達で遊びを考え、時に子供たちの無理難題にスタッフ達がアナログだったり、プログラミングを駆使して、それを実現する。非常にフレキシブルな取り組みを行っている。そこには専属のスタッフが常時3名〜4名ほどいて、毎日の遊びや気付きについてTumblrにUPしている。

http://koropavi.tumblr.com/

あんな120%の活力で遊んでいる子供は久々に観た。
2時間ほど見学させてもらい、スタッフの方と話をして興味深かったことを幾つかあげておく。

■身体性とメディアのバランス

身体的な熟練度と反比例して、メディアというかメディアアートへのきっかけというのはなかなか難しいようだ。

自身も大垣市とのプロジェクトで『ドロトレ』という黒いマジックテープの上を走る電車のおもちゃにカメラを搭載し、その映像がiPadに映り、さらにテープの色でカメラの前のエフェクトが切り替わるというプロダクトを作った。というか、今も進行中だ。そのプロトタイプを行った際に、子供がまず”動くモノ”に夢中で、徐々にカメラやiPadに意識が動いていくことを思い出した。

身体的な経験はある種、通過儀礼みたいなもので、いきなり”仕組み”に興味を持つのは難しいのだろう。

■躾と野生化

コロガルパビリオンに入る前に、簡単な説明でここでは何をしてもいい、という話をするけども時に”これをしてもいいの”とスタッフに聞きに来るのだとか。

あるお姉ちゃんと妹が初めて遊びに来た時に、妹は全力ではしゃいでいるのに、お姉ちゃんは”汚いからやめて!”という止めることがあったのだとか。このお姉ちゃんには親の反応とか含めて、『良いこと』の定義が固まり始めたんだろうか。

ただ、コロガルパビリオンが開放される時期は、子供たちがパビリオンを離れても自由奔放になるケースがあるらしい。例えば、坂本龍一氏が展示しているForest Symphonyのスペースに虫が飛び跳ねてたり笑。

興味深いのが”汚いから!”という感情がどのタイミングで発生したか、ということ。それは恐怖の感情も同様で、日常生活の中で刷り込みのように入っていのだろう。メディアのチカラは大きかろうが、話がそれるのでここでは置いておく。

躾が”善い”と”悪い”を理解させることとしたら、コロガルパビリオンはその善悪のスケールを広げ、さらにレイヤー的に善いと悪いを体験させることなのかもしれない。

スタッフの方も言われていたが、今の学校教育には絶望してると。何をするにも注意されちゃって、そのスケールがどんどん狭くしてしまって、子供たちは雁字搦めになって非常に窮屈そうだと。

実はコロガルパビリオンは親御さんにも影響を与えている。正直、コロガルパビリオン内では10分に1回ぐらいに危ない!っと思える瞬間があったりなかったりする。そこに対して親御さんはドーンと構えているのが非常に印象的だった。振り返ってみると、自身も同じようなことをして遊んでいたことを思い出しているかのような表情が印象的だった。


■やりたいことはあるけども、子供からその声を届けて欲しい

実際にコロガルパビリオンに入ってみて、こんなことができたら、ということが次々に浮かんできた。スタッフの方たちも同様で、それが浮かんではいるのだけども、そこは子供たちから提案が欲しいんだとか。

実際にここでは月に1回、子供たちによる子供ミーティングが開催される。どんな遊びがあればよいかをグループに別れ、発表するのだ。それが実現可能であれば、Labで実現に向けて動き出す。

ただ、子供ならでは発想も愉しいのだが、なかなか唸るようなアイデアは出てこないのだとか。ここでいう面白いというのが既に大人からの発想かもしれないが、メディアを通した遊びなども出てきてほしいのが本音だそうだ。

自分が知っている知識の組み合わせの中で、アイデアは出てくる。なのでここはひとつめの最初の『身体性とメディアのバランス』にも繋がるかもしれない。ただ、そこに関しては気長に待つのだとか。

上記のように、色々自分の子供時代なり、考えさせられる施設でございました。
最近調べた子供についてのメディアの取り組みで興味深かったのをあげておく。

子供DJ
https://www.dirigent.jp/fun/menu/join/dj-on-PreSchool.html

DSのピクトチャットで情報戦 「DS鬼ごっこ」がブームに
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1147421.html

TED日本語 - ミッチェル・レズニック: 子供達にプログラミングを教えよう
http://digitalcast.jp/v/16734/

突き詰めると子供たちにプログラミングを教えることになりそうだなー。
滞在中、時間をつくってYCAMの教育事業に参加したいなー。

不満があるのは店がだいたい7時から8時には終わるので、晩飯がまともに食えないこと。ただ山口の地酒『獺祭』はめちゃめちゃ美味い。ワインのような透明感の日本酒。
おみやげ筆頭候補。

美術手帖2013年6月号増刊 YCAM GUIDEBOOK 山口情報芸術センター[YCAM] アートと社会をつなぐ、メディアの実験場 Web Designing (ウェブデザイニング) 2013年 10月号 [雑誌] 旭酒造 獺祭 (だっさい) 純米大吟醸 磨き39 720ml

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年10月1日火曜日

NHK 日本人は何故戦争へと向かったのかを観て




もう2年ほど前だろうかNHKスペシャルで『日本人は何故戦争へと向かったのか』という特集を観たことを前回の情報社会特論Cの講義を受けていて思い出したので、それについて書いていく。

組織、マスコミ、リーダーの決断、太平洋戦争がいかにして、勃発してしまったかを当時の肉声テープや資料をもとに、さすがNHKスペシャルというべきか、ディープなとこまで取材している。

結論からいうと、太平洋戦争というのは日本人の今も昔も変わらず決断力がない、というよりむしろ「皆まで言うなよ」という馴れ合いが最も最悪なカタチで露呈した出来事だったのだと。

振り返ってみてみると、もう間違いなくの愚行としか言えないのだけども、当時における空気・時勢はその判断を激しく劣化させてしまったのだ。以前の民主党の迷走もあとから振り返れば、偉業として讃えられることもあるのかもしれない。んなわけないか。

特に興味深かったのは、第三回のマスコミによる戦争全面バックアップ体制。

自分の息子が戦争に向かうもんだから、その動向が気になってしかたない。だから新聞は飛ぶように売れる。デジタル化が進んだ今とそう変わらぬ、むしろ早いペースで現地から記事が書かれ、飛行機で運ばれ、号外として発売される。

戦争は新聞社にとっては、悪いものではないのだ。この事実は恐ろしい。

先ほどの振り返れば愚行の話ではないが、その行為の一翼をになったのはマスコミが生み出した世論である。第4回のリーダーの決断が右往左往した理由は、外政、アメリカを怒らすことよりも、内政、つまり国民感情を逆撫ですることを恐れたということなのだ。

内政をないがしろにした場合と、外交を蔑ろにした場合、どちらの結果が悲惨なものになるか。言うまでもなく、後者であろう。こと帝国主義の当時であればなおさらである。

さて、この図式を現代に当てはめてみると、震災後においてすこしばかりは情報の多角化、密度を高めるヒトが増えたかもしれないが、まだまだメディアの情報操作は健在というべきであろうか。内閣もようやく選挙が落ち着いたものなので、政策に集中できるかもしれないが、仕方ないのだが、その政策も誰が為となると、選挙に勝つため、結局は老人達のための政策になってしまう。論点がズレてしまったが、手段が目的になってしまっている状態はあまり変わらない。対してマスコミは記者クラブを中心に、自分たちの存在を脅かす人物に大しては激しいネガティブキャンペーンを報じる。

ただ意外と、この状況を楽観視している自分もいる。
戦時は極悪だったラジオはテレビではできない愉快で言論が活発な場になってるし、ネットもGoogleReader終了以後、情報の取り方から含め自分で組み立てる状況になってし、今回のあまちゃんを通して、テレビのコミュニケーションツールとしての役割は改めて痛感したし、あと新聞に関しては朝日新聞を逆読みするぐらいでいいのではないか。

今回の特集も一次元的に鵜呑みにするのは危険だよって、NHKの自虐ネタかと思ったけどいい特集だった。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

【講義】情報社会特論C 社会とメディアとの関わり (初回)

本日の授業は情報社会特論C

この講義の内容は以下引用。
歴史的経緯を踏まえれば、一般的なメディアは戦争の道具の一部として始まったと言われているが、その後マスメディアは発展して我々の生活に密接に関わってきました。しかし旧来型のマスメディアは役割りを終えようとしており、今後は多様化することが想定されます。そのような社会背景を鑑みると、これまでの受動的なメディアではなく、特性を把握した上で適切なメディアを選択して利用する、または状況に応じてカスタマイズしたり、更には自分で作る、ということが必要となります。そのため本講義では、GoogleやYouTubeなどのウェブにおけるサービスから、デジタルサイネージや東京ガールズコレクションなどの商品の広告、販売、物流に至る幅広い事例について、調査・分析を行います。更に、これらの事例分析から新たな提案を行い、今後のあるべきメディアの未来像を探求することを目的としています。  http://www.iamas.ac.jp/classes/158

初回の授業では社会とメディアの関わりについての内容となった。
まずは大きく2つの視点から。

①既存のメディア(マス)に対する歴史的変遷

②インターネットによるメディアの立場の変更


まずは既存のメディア(マス)に対する歴史的変遷

印刷メディア=グーテンベルクの印刷機、もしくは文字誕生時(絵画も)
┗約600年前 ルターの宗教改革 聖書の初版は先進国に2冊ぐらいしかない。日本では慶応。(1冊何億円とするとの)

・電波メディア=ラジオは同一情報の音メディアを多数に届ける。
┗国産第一号鉱石ラジオ



映像メディア=テレビは言語だけでなく映像によるリアルタイムの情報共有。
┗シャープが1952年17K-531を販売。



メディアについて書かれた古典の紹介。

メディア論―人間の拡張の諸相

メディア論―人間の拡張の諸相

メディア自体がメッセージである。メディアの内容をメディアのメッセージと取り違えない。新しいメディアの登場は、人間の感覚比率の変更を通じて、古い価値観そのものを無効化する。それゆえ人は最初、新しいメディアのメッセージを読み間違えがちといった内容である。


メディアや情報系に関わる人は読んでおいて損はないとのこと、だが非常に高いので図書館利用かな。

■メディアの黒歴史について

メディアを利用した洗脳(プロパガンダ)の例
  • ロシア革命
  • ナチスヒットラー
  • 日本の大本営発表
  • 湾岸戦争

プロパガンダの定義について
  • われわれは戦争をしたくはない。
  • しかし敵側が一方的に戦争を望んだ。
  • 敵の指導者は悪魔のような人間だ。
  • われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命(大義)のために戦う。
  • そしてこの大義は神聖(崇高)なものである。
  • われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為におよんでいる。
  • 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている。
  • われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大。
  • 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している。
  • この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である。
湾岸戦争(1990年〜1991年)

・カメラレンズの前にあることは大写しされ、背後にある重要性は縮小されてしまい、非常に限られた内容しか伝えられない。

・ハイテク兵器による華麗な戦争を行っているかのように国民に見せたが、実際はミサイル攻撃はアメリカ空軍がイラクとクウェートに投下された爆弾。

・以下の写真はクウェートが湖をオイルまみれにしているという情報操作のために作られた捏造写真。



■日本のテキストメディア
・瓦版から新聞へ(江戸から明治)
┣横浜毎日新聞が初めての新聞
┗読売新聞夕刊 1941年12月9日に太平洋戦争に書かれた記事が掲載される。


・日清・日露戦争で新聞が大躍進
・白虹事件で政府による言論弾圧(以後従う)
・戦後GHQによるメディア統治(テレビによる国民支配)

■日本のマスメディアの欠陥
・記者クラブは政府・警察となれあい関係
・スポンサーに内容が左右される

■インターネットによるマスメディア崩壊
・小泉首相によるメディア利用
・大手広告代理店によるステマ
・政治不信/官僚不信とマスメディアの癒着

情報格差=世代格差
いかに多角的に情報を得るかで、密度や正確さが変わってくる。

■社会における心理について
レガシーフリーにして、まず社会を考えてみよう
⇒ミクロの視点でみてみると…

Mシェリフの実験(1935)
・一人ひとりに答えてもうら場合は一人ひとりの意見は個人差がある
・複数人の場合、意見が徐々に集約されていく
・他人の意見を聞いて自分の意見が変わるという、自分の行動が他所に影響をおよぼす

⇒肝心なのはその集約される意見というのが優れたものであるかどうか?


キティ・ジェノヴィーズ事件
・1964年3月13日 NY キティさんが団地を歩いているとオトコに刺されたが助けを求める。
・目撃者は31人にも及ぶが、それぞれがお互いがみていることを確認していたため、連絡することはなかった。
・集団的意識の責任放棄

囚人のジレンマ
・共同で犯罪を犯した2人が捕まった。
・黙秘すれば懲役2年、共犯者が黙秘して自分が自白したら釈放で共犯者が懲役10年、2人とも自白したらそれぞれ懲役5年。
・協力すれば互いに得をし、それができないと不幸が増すが、全体を考えることができるか?

サクラ(アッシュの実験、1955)
・線分の長さを比較させて順次回答させる課題
・サクラが誤答するとサクラに影響される
・他に正解者がいると誤答率が激減する。
サクラがいることによってそちらにひっぱられる傾向が見られる。

社会とは個人の単なる集まりではない。
・キティ事件=個人と社会の関係
・シェリフ=知覚心理学から社会学
・囚人のジレンマ=心理学から経済学、社会学
・サクラ=他社に影響(メディア)

■社会学とは

・人々がどのような社会生活を営んでいるか
・そこにはどのような規則性があるのか

社会を見る視点は多様であれ(もの作りでも芸術でも工学でも要求されること)

■社会学からみるメディアの影響

・1920年代:リップマン「マスメディア強力効果節」

   (頑固そうな顔立ち…)

マスメディアは人々に対して直接的に強い影響をあたえている。
擬似環境に反応する際、人々はステレオタイプを用いやすい。ステレオタイプによってメディアも熟成される。

・2段階の流れ仮説(ラザーズフェルド)

マスメディアは直接的に人々に作用するのではなく、コミュニケーションに対して積極的な一部のオピニオンリーダーを媒体とした間接的に影響をあたえる。マスメディアは人々にごく限定的影響しか与えていない。

■インターネットメディアの変換
・1994年第一次インターネットブーム(Windows95)
・1999年第二次インターネットブーム接的に影響をあたえる。(ISDNから光ファイバー)
・2005年ブログブームやmixiなどのsnsの普及
・Googleの躍進、Facebook、Twitter


アーキテクチャの生態系マップ



具体例として、著者は飲酒運転の問題をあげているが、ここでは、もっとわかりやすい例として、「喫煙防止」の問題をあげておきたい。喫煙は体に悪いし、他人に迷惑をかけるのでやめましょう、というのが「規範」。喫煙を法律的に規制するのが「法律」、たばこ代を大幅に値上げするのが、「市場」、そして、「喫煙できる場所」を強制的に限定してしまうのが「アーキテクチャ」だといえる。アーキテクチャは、どちらかというと、「技術的な方策」といえるかもしれない。 


■インターネットで何が変わったか
「モノからコトへ」ではうまくいかない。
「モノをコト化する」あるいは「コトをモノ化する」ことによって
新たな価値やサービスを作り出しはじめた。
⇒SONYの失敗/ジョブズの成功

■Googleは何をしているのか
6週間以内に新しいソフトやサービスを具現化し、社内で評価実験し、その後ユーザーに公開し、その評判からプロジェクトの存続を決める。

■Googleの10の黄金律
1.採用は委員会方式で行う
少なくとも6人以上の管理者や将来の同僚が面接する。時間はかかるが素晴らしい人材を採用できる

2.社員のニーズにこたえる
仕事の邪魔になるものはすべて除去する。福利厚生施設の充実。ジム・マッサージルーム。

3.社員間の距離を縮める
ほとんどの仕事をチームで行い、コミュニケーションを重視する。チームメンバーの席は近くに置く。個室はつくらない。

4、情報交換の円滑化
席が近いために仕事の調整は容易である。加えて週間報告をメールで行い、仕事の進捗状況の把握を用意にする。

5.自社製品を自分でも使え
自社開発のツールを多様する。Gmailの成功は数ヶ月におよぶ社内利用のおかげだった。

6.創造力を奮い立たす
業務時間の20%は好きなことに使う。会社ベースの提案箱として駐車場利用規則から商品開発にいたるアイデア交換のための
メーリングリストを持もつ。

7.コンセンサスに至るよう努力せよ
「多数は少数よりも賢い」を基本的な考え方とする。何ごとについても決定前に意見を集める。マネージャーの役割は意見を集めることである。時間をかえて検討し、チームとしての結束を深め、優れた決定をもたらす。三人寄れば文殊の知恵

8.邪悪になるな
グーグルのモットーについてはいろいろいわれているが、われわれは誠心誠意本気である。マネージャーとなれば、とくにそうである。

9.事実で判断せよ(データ・プロトタイプを重視する)
決定は分析にもとづいて行う。内外の情報を集め、最先端に位置することを目指す。事業の状況はオンラインで把握する。

10.コミュニケーションに万全を期す
金曜午後に全員集合、発表、紹介、質疑を行う。全員が考えていることを知り合う。
■コト化、モノ化
・Apple:Apple computer incかららAppleへ
・ホンダ:自動車企業から「モビリティ」へ
・キャノン:カメラから「バイオ医療」へ
・スターバックス:コーヒーから経験へ
スタバの内装は秘密裏に行われていた、
芸術家、建築家、デザイナーがそれぞれ作り上げ、
サービスと経験をデザインした。コーヒーの専門家はいない。

■メディアの持つ側面
・社会における位置づけ(肯定的な見方と否定的な見方、あるいはConcept)
・技術的なメディアの特性
・ハードウェアとの関係(iPhoneなど)
・ユーザーの特性

情報社会、特にメディアについて私達はこれから何を考えていくべきか?
次回の講義では具体的なメディアについて調査、独自での展開を検討するそうだが、ひとまずブログでは以前に観たNHKでの太平洋戦争とメディアの特集について書く。




  • このエントリーをはてなブックマークに追加