2014年8月20日水曜日

出雲で拝み、YCAMは潜る ~ 地域に潜るアジア展が示す、これからの10年 ~

この週末、出雲大社、そしてYCAMに行ってきた。




初めての出雲大社。昨年の「編纂プロジェクト」で神社にはまり、神話を調べ、後白河天皇を敬い、出雲大社に憧れた。そんな待望の出雲大社。しかも地元在住のナビゲーターの存在もあり、いい面構えの犬もいて、ご満悦です。諸星大二郎みたいには想像力は働かなかったけども、”答え合わせ”はできたかも。




行きの電車で時間が遅くなったため、出雲そばは食えずなのが心残りではある。余談だが、”出雲そば”を初めて知ったのは桃鉄。目的地である出雲の産業には、出雲そばがずらりと並び、1,000万円 利益50%と優良な産業だったような気がする。今思えば、地域の特産を買い占めまくるという、もの凄い新自由主義的なゲームやな、ってふと思ったりする。


さて、出雲で過ごした後のYCAMである。
昨年9月にampで1ヶ月弱の滞在ぶりなのでほぼ1年弱の再来訪。

今回の目的は2つ、「コロガルパビリオン」と「地域に潜るアジア展-参加するオープン・ラボラトリー」だ。

署名で復活したコロガルパビリオン




コロパビについては以前の投稿で書いたので詳細はそちらに回すとして、相変わらずの120%で遊び回る子供たちがそこにはいた。

コロガルパビリオンは昨年、期間終了で閉鎖が決まっていたのだが、子供たちの署名活動で1000人分が集まり、その再開が決まった。

http://www.ycam.jp/press-release/korogaru-pavilion-reopens.pdf

このニュースから、これが歴史を作ることなのかも、と仰々しく思ったが、あながち間違ってないか。新しいコロパビには、霧を活かした装置や札幌のコロパビとのモニターと受話器での交流といった、新しい遊びを子供たちが思考実験するための”仕掛け”が設置されている。さらに、毎週金曜日に実物のヤギが導入される。”生物”がブチ込まれることでどういう現象が起きたのか。これはぜひ見てみたかった。また運営にも工夫が繰り返されており、常に留まらない。

コロパビの存続について

様々な遊びを子供たちと考え、メディアで表現する創意工夫あふれるコロパビであるが、存続させるための手法が”署名”という非常に直線的かつ、政治的には効果的な手法で、継続が決まったというの運営側としては嬉しいけれども、まだまだ他にも出来るだろう!っというのも本音だそうだ。ストイックというか、真摯な葛藤が垣間見える。

市民施設であることから、利用料での運営でない。市民の税金が導入されているのだから、利用者と運営者という面はもちろんあるが、利用する側が無料で利用できるというところで完結してしまうのか、またはこうあってほしいという意思が存在するのか。子供だけではなく、親、もしくは大人の存在にも焦点が当たる。

大人達はコロガルパビリオンをどうみる

子供が愉しむだけではなく、大人も愉しむための場となるには、それを与えるのではなく子供から、大人から引き出す。子供たちが”考える仕組み”を子供を”責任あるひとり”として向い合って試みてきた、それを大人まで引き出すこと。

今月末で一旦コロガルパビリオンは一旦閉鎖される。その後、どのように姿を変えるのか、もしくはこのまま閉鎖されてしまうのか。

「地域に潜るアジア展-参加するオープン・ラボラトリー」同様、次のYCAMの10年が始まった、という印象がする。


「地域に潜るアジア展-参加するオープン・ラボラトリー」を観る

http://www.ycam.jp/art/2014/07/media-art-kitchen.html




インドネシア・マレーシア・シンガポールなどアジアのアーティストと、山口に暮らす人々が共同でつくる、小さな集落がそこにあるかのような展示。2014年3月よりYCAM内に5つのラボラトリー(竹・食・穴・メディアテクノロジーと地域・音)が設置され、地域社会の課題や資源に対して、まさに交流を行っていく過程をみせる。

これまでのYCAMでも地域の商店街との連携などは、ななつぼし商店街などがあるが、リソースを全面に出して取り組むということは初めてなんだとか。館内における展示やインスタレーションはインタラクティブな体験であっても、山口における営みとはどこかで乖離したものであったかもしれない。それが10年を経て地域と腰を据えての対話を試みている。

「まちおこし」と「地域解決」

突然だが、”まちおこし”という言葉があまり好きではない。既にある”歴史”を観光資源の素材として過大に相対的に表現することは、生活者の意図とは遠いところで生まれてしまうことが往々にしてある。例えば大垣にある芭蕉記念館をみてみると、それが暮らす人達の対話の上で誕生したものかどうか。芭蕉が産まれた場所でも、亡くなった場所でもなく、”旅を終えたとこ”をそこまで引っ張りあげたのは逆に凄いとも言えるが。

”地域解決”って言葉も同様だ。”解決”が誰がためのがよくわからなくなる。例えば、街にコストコができれば便利だし、ありがたいのかもしれない。デカいショッピングモールが街に訪れた結果などは、日本や海外でも多く語られるところなので、そこは参考リンクをみてもらうとして、”解決”が”与えるもの”と”与えられるもの”での構図でしか行なわれないのであれば、それは暴力的ともいえる。

【田舎論】イオンは文化の破壊者か、救世主か・・・ネットで議論紛糾



野暮な言及だが、今回のこの展示は”街おこし”でも前述のような”地域解決”でもない。言うなれば社会情勢や今ここで起きていることに着目して、求心力のある場を用意し、対話と手を動かして、創りだすアプローチ。非日常を演出するのではなく、日常の中にダイバーシティが潜んでいることの実践である。






YCAMに入ると、ホワイエを全面に使ったどデカイ竹の建造物が目に飛び込んでくる。自身が滞在していた際は、坂本さんのForest Symphonyが森や山との対話を通した、非常に洗練された展示と対照的に、今回の展示は野生のアプローチをビンビンに感じた。もう導線とか全くよくわからないし、あらゆるところでいろんな取り組みの事例が紹介されている。村というか、もはや市場。




今回の参加者のひとりにインドネシア出身のヴェンザ・クリストがいる。彼は東南アジア初のファブラボであるHONF Fob Labを立ち上げた人物で、HONF Fob Labは利用方法が野生のFab labとして注目されている。日本や欧米で必要なものがあれば、多分買ったほうがコスト的にも時間的にもめちゃ安い。ポチれば翌日には届く。でもインドネシアで欲しいものを買おうとしたら、給料の3分の1とか発生することがある。だから必要な物を作ってしまう、という本来のFab Labの姿が体現されているのだとか。


そのバイタリティがこの展示に多分に影響を与えているのは間違いない。

またヴェンザはHONF Fob Labの以前にHONF Foundationを立ち上げ、そこでインドネシアで"Democratizing Energy" を試みる、HONF-Micronation/Macronation Projectを行っている。


その流れもあるのか、竹のエネルギー化を模索したが、既に様々な手法で試みがあるがなかなか実現にいたっておらず、今回も展示で使った竹のその後のことなど、まだまだ先はあるようだ。


今回の展示のリファレンスのひとつに上山の限界集落での取り組みがあるとのこと。

限界集落を”集楽”に!美作市地域おこし協力隊が ”全国最強”とよばれる秘策とは?

この記事にも書いているが、何が凄いってアイデアが出た後のスピードに尽きる。やっちゃ駄目って言われることは、「俺が村を!!!」という保守的な力を持っている人の声で、動きづらいことがあるのは地方ではよくある。悪いことばかりじゃないかもしれないが、こういう活動にはその状況は厳しい。ただ限界集落まで行くと、もはやそれすらも失われてしまっている。だからこそのこのスピード感。そして何より本人達がめちゃめちゃ楽しんでやっているのだとか。無理をしない、愉しむ、仲良くなる、で無茶も厭わない。この姿勢が参考になったのだとか。そこにアジアのバイタリティが交じり合ってのこの展示か。妙に納得した。

美濃の家での活動と照らし合わす

自身も、美濃での活動を模索している。
今回の訪問は手法を知るというよりも、その姿勢を知ることだったのかもしれない。

iamasでの美濃の家プロジェクトは昨年から様々な取り組みを行っている。お化け屋敷やラジオワークショップや作品の展示、流しそうめんをしたりと。うだつの街にある古民家を活かして学生たちがどう表現できるか、という趣旨のプロジェクトである。自身は昨年は参加していなかったが、実際に、プロジェクトが進むにつれて、街の人達の認知は確実に上がっており、次に何をするかという期待もあるのは体感として伝わる。

プロジェクトの美濃の街との関わり方はどうかというと、顔が知れたといえども月に1~2回しか訪問しない外部であり、極端な言い方だが、観客と提供者という構図はある。

この数ヶ月その構図ではない実践を模索し、動いていた。非日常を演出するのではなく、日常の中にダイバーシティと冒険が潜んでいることを見出す実践をどうすればいいかと。

対話や参与といえどもレイヤーがある。年齢と参加の頻度と期間とすれば、例えば小学生を対象として、期間は1回なのか、1週間なのか、1年なのか、といったように。ワークショップやイベントを企画をする際に、どの人達を対象とするのかを定義して、のちの考察の際にもそこを軸に振り返りができる。

美濃の家に石窯を作ったのも、食という生産と消費が同時に行われる場であり、参与のハードルのベースとなることを目指したため。まさにコロガルパビリオンが産み出す求心力のように。

そして美濃の家にまずは1週間ではあるが、暮らして潜ってみた。あまり深くは潜れてないけども、街の人や商売する人、女子高生らとの話、図書館でかつての美濃の活気ある姿などを通して、街がもっている表面的な課題というのは理解はする。それ自体を解決することが目的ではない、ということを改めて自覚する。

時間的に焦ってしまいたくなるが、無理したら多分うまくいかない。無理はしないけど無茶は目論む。前回の投稿じゃないけどGO ADVENTUREって感じに。

そういう意味でも、今回のYCAMに訪れて、じっくり話せる機会を頂いて本当によかった。ありがとうございます。出雲大社のおみくじにはろくなことが書かれてなかったけど、改めて報告できるように。

最後に、山口でのスケボーがめちゃいい。自転車だと早すぎる、歩きだと遠い。平地が多いし、ちょうどいい。美濃もそうだけど、スケボーを出先に持っていくのハマりそう。



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