2014年12月18日木曜日

Radとは「既成事実をつくること」 Radlocal 4日間の記録と考察




前回の投稿で長すぎる枕を経て、radlocalの体験記を自身のメモを兼ねて記載していく。

あらためてYCAMで行われた4日間のradlocalはどのようなものであったか。
Radlocalの特設サイトにこのように記載されている。

http://radlocal.ycam.jp/

デジタル時代の「地域×メディア」について、
可能性と課題を問う3日間の集中ワークショップ 
インターネットやテクノロジーの急速な発展にともなって、私たちを取り巻く暮らしも加速度的に進化しています。日々革新されるメディアテクノロジーとともに地域のことを考えたとき、どのような創造性が生まれ得るのでしょうか?

今回の企画はYCAMやゲストの持つリファレンスから地域×メディアの可能性を探ること、それはテクノロジーの考察を広げ、深めるというより、むしろ地域に潜伏している”素材”もしくは”富”というのをどのようにして発見して、拡張させるかを考える機会なのだろう。


【 初日 】個人が持つ発展の可能性について


初日はYCAMから車で50分ほどかけたところにある阿東町の阿東文庫へフィールドワークをおこなった。フィールドワークといっても、何か調べるというよりは、阿東にいる人達の話を聞く機会である。



そもそもRADROCALのベースとなった、YCAMの”地域に潜るアジア”がまさに素材・富を拡張させたプロジェクトで、その始まりは阿東町に生きるRadな人々を発見し、拡張したことにあったそうだ。


阿東町にて知恵と技術の邂逅

企画段階でYCAMメンバー及びインドネシアのアーティスであるヴェンザ・クリストが阿東町を訪れた。そこでの邂逅が凄い。あるおじいさんが凄まじい勉強家、むしろ知の巨人と言えそうなぐらい物事に精通し、米についての研究を独自で行い、ひとりでアメリカに出向いては研究者とガンガン議論を行ったりする人物であったこと。そしてインドネシアでHONF Fob LabやHONF-Micronation/Macronation Projectを行っており、今ではインドネシアのロックスター的な人物であるヴェンザ・クリストが、自ら行っているアクティビティとおじいさんのアクティビティがシンクロし、話がドライブするダイナミズムこそ、「地域に潜るアジア」の発露であったそうだ。





さらにヨシミさんという別のおじいさんは阿東町にある廃校舎に本を集積して、その街の知の拠点として確立しようと暗躍し、行政には既成事実で認めさせるという、これぞラッドなアクティビティを示す。そこは、定期的に農業、政治、社会情勢について白熱した議論を交わしているというYAVAY場所なのである。(後日行われた懇談会で、ヨシミさんと話をしたが、最高だった。説教的な態度は皆無で、こちらと対話を重ね、その上で説得力のある話がどんどん広がる!刺激的!!)

眼から鱗なやんちゃなおじいさん達の話を伺った後は、地域おこし協力隊の方々によるイノシシの猟について学び、旨すぎる甘酒、おしるこ、イノシシ鍋を堪能する。


恐らく全体を通して、初日の阿東文庫でのフィールドワークは現時点において、スケールとしては小さいかもしれないが、「個人が持つ発展の可能性」としては最高であった。それゆえに、参加者も登壇者も全員参加できれば、、



【 2日目 】あの鐘を鳴らすのは俺

2日目の講師は桂英史さん(俗称:カツラッド)で、ここでは、桂さんが過去に取り組まれたプロジェクトを軸に話を進められていた。基本的にはスケールのデカい話ばかりなのではあるが、要はプロジェクトに関わるようになった動機というものが大事であって、“市民のため”なんてものは役所のエクスキューズでしかない。


せんだいメディアテークの場合は、ネクストレベルの文化施設の可能性を桂さんがその名前とコンセプトに感じたからだそうだ。別の言い方をすると将来的に食っていける道があるかもしれない、もちろん純粋にその必要性も感じていることも含む。プロジェクトが進むに連れて金がペイできなくて離脱したメンバーも沢山いたそうだ(一昔前のプロレス業界みたいだ。)。結果的には桂さんは「自身の携わった成果として、そしてペイの回収のため、「せんだいメディアテークコンセプトブック」をつくる。そのタイミングまで含めて、と非常に示唆を得る内容であった。


箱物プロジェクトに関しての発言権は、建築家 > 役所 >「ユーザーのことを考える人」なのだが、「ユーザーのことを考える人」がどのぐらいプロジェクトに腰を据えているかでディテールが決まり、それは成否は変わるということ。実際に自身も過去のプロジェクトやCCC時代の仕事を振り返ってみても、たぶんそれは原理原則であろう。つまりはあの鐘を鳴らすのはあなたではなく、俺なのだと。



【ワークショップその1】 「日常にあるバリア」


ワークショップでは「日常にあるバリア」を発見し、それを融和させる取り組みというテーマでグループワークを行う。利害相反するふたつの集団を融和させるところに取り組むべき可能性がある。それを踏まえて、この目的は大きく2つあったのではないか。ひとつはディスカッションのプロセスを細かく写真で記録をおこなったが、その思考プロセスを振り返る手法を知ること。


もうひとつはプロジェクトとなった場合に、動機をどこまで自身に担保できるかを探ること。市民のため、ということを言いたくなるけど、結局は上記したように、自分がそれを行うことでお金にしろ、自己の欲求にしろペイできる可能性を推し量り、それと向き合う覚悟を感じさせるための機会だったのではないだろうか。



【3日目 】 テクノロジーが紡ぐ生態系の話

前半の講義はRhizomatiks代表取締役およびクリエイティブ・テクニカル・ディレクター
の齋藤精一さん。

齋藤さんは学生時代から建築を軸に動いていたけども、どうやら建築は自身が思っているよりも狭い世界であった(当時の話としてみれる)。その後アーティストとして活動していくも、アートの世界も想像以上に閉じた世界であった。作る人、観る人、批評する人、全部同じ穴のムジナ。そして何より食えない。そのため、生存戦略としてエンターテイメント・コマースの世界に道を広げた。ただ、その生存戦略以上の可能性があるという話だ。

それは人の心が動く空間やモノについての話だったりする。例えば、セナのCMで担当技術者が涙をながした。データは見せ方によって人を感動させることができる。






またHYPER NEBUTAの事例では、元々この案件がねぶた師の人からの要請であり、結果翌日の新聞で一面を飾ることになり、保守的な人達から文句的なものもあったが、でも、子供もおじいちゃんも面白がっていた。それ以降、LEDや照明についての議論が起こり、文化として守るものは大事だけど、新陳代謝がおきる可能性について。




そしてPerfumeで使用されたモーションキャプチャーデータは公開されており、それが大学での教材として使われている事例についてなど。

http://perfume-dev.github.io/
http://www.perfume-global.com/


commerce × ART × R&Dという生態系

齋藤さんはその発展の仕方をAds+ART+R&Dという言葉で表現していた。アートで技術や思想を構築する、それをエンターテイメントやコマースの分野で拡散する、さらにそれが次の探求、議論、学び、発展を呼び起こすというサイクル。この話はYCAMが目指し、実践しているメソッドとも近いものを感じる。それは2010年のEyeWriterプロジェクトから端を発している。




InterLabの伊藤隆之さんがアメリカニューヨークで1年間滞在時にEyeWriterプロジェクトにプログラマーとして参加し、それをYCAMで作品展示としてみせた、その後ワークショップとなり、鑑賞とディスカッションを行い、その一連をネットでオープン化した。YCAMの生態系とも言うべきそのスキームも、ライゾマティクスが目指すそのスキームもアプローチは若干異なるも、同じようなカタチをしているのではないか。正直、iamasもなぁ、とか思ってしまうが長くなりそうなので止めておく。


アトラクターは賞味期限ではない。

さらに齋藤さんは必要な要素として「アトラクター」の必要性を語っていた。これは例えばTSUTAYAがスタバを併設しているから足を運びたくなる要素のようなもの、と言っていたがあんまりいい例えではないかもしれない。というのも、そのコンテンツが持つ賞味期限のようなものと捉えてしまいそうなので。本当は消費と生産(広義での)の両方のサイクルでの持続のための訴求力のことだろう。消費の面からみれば、それは資本の論理で相対化が起きることで終わってしまう。まさにPerfumeの教材事例は「消費」と「生産」の両サイクルで良いアトラクターを持った事例だろう。


【ワークショップその2】 アトラクターのある仕組み・組織づくり

その後のワークショップでは「現存する文化施設をさらに活用するために、作るべき仕組み、もしくは作るべき組織」を考えるというものであった。これはまさに一過性のマーケティング手法ではなく、人を動かすための「アトラクター」の具体的な提案として。ただプレゼン資料まで含めて1時間という短い時間であり、アイデアソンにしたのは、言うは易しということを本人が一番わかってらっしゃるからであろう。割と強引に以前やろうとしていたアイデアを持ち込み、メンバーの皆さま気苦労おかけいたしました。

それにしても斎藤さんの語り口というのはなんとまあ、腰は低いけど耳を傾けてしまう、というような、素敵な語り口であることか。パパっぷりも素敵でした。


詰まるところ、愛についての話

その後の講演でWIRED編集長である若林恵さんが登場する。プロジェクターを使わずに手ぶらでの登壇で、探りつつの話であったが個人的にはグッと来る内容であった。

話は多岐に渡る。例えばWIREDがテクノロジーを軸として、3つのマーケットを相手にしている話。読者と広告クライアントと情報のサプライヤー(写真を提供してくれる人、イラスト、載って欲しい人)だ。ちなみに直近の過去3号(コーヒー、ファッション、死)はまさにそれぞれの人達に向けて作られているらしい。



またボトムアップとトップダウンについては、どちらも過大に評価すべきでもなく、ただ近づける必要はあるという話。例えば、アメリカでビヨンセのレビューを探すと上級誌がこぞってレビューを載せている。ニューヨーク・タイムズ、ローリング・ストーンズなどなど。そこから個人のブログに落ちていくという、情報のグラデーションがある。日本の場合はレコード会社が書いた記事を上位が占め、なんならブログ等でも個人がコピペする。テレビとyahooニュースの中でぐるぐる回っている、という話など。

極端とも言えるのだが、さまざまと話を聞いていて感じるのは、若林さんは多様性を信じているけど、その過程で発生するプロの作法みたいものは絶対に疎かにしてはいけない、そして、作り手に対する敬意を払うことを忘れてはいけない、ということが通底していたのではないか。

また別の話で、この街はこれで食っていく!というのは危険、というか今の時代に合っていないと言う。つまり、一部の影響力で決めていくというよりも、街の中で多発的に自発性が誘発させるかということだ。

Bjork’s island(参照)http://amass.jp/17220/

その流れでアイスランドの音楽事情の話が興味深い。現在、BjorkやSigur Ros等アーティスの影響で、音楽を軸とした国の動きが始まっているらしい。ある種の誇りとして、そこに暮らす人達が盛り上げる状態が自然と発生しているとか。Bjorkが出てきた時に、それを面白がる人達、凄いヘンテコな才能が出てきた時に、それをスケールさせる人が必要ということだ。その話を聞いて、実際にクール・ジャパンとかも構図としては一緒にみえるんだけど、決定的に違う、それは本当に詰まるところ”愛”なんじゃなかろうか。それは日本の地域でも同じ構図だ。

最後に以前、WIREDで掲載したCANのダモ鈴木の話をされていた。

CANからマーズ・ヴォルタへ。ダモ鈴木の過去・現在と見果てぬフューチャー・デイズ

この記事が1000イイね!された時に一番驚いていた人達は音楽業界の人達なんだとか。「私たち何処見て仕事していたんでしょうね…」という話で。これは編集者としてカタルシスかもしれないが、前述した、凄いヘンテコな才能を面白がる人達の重要性の話にも繋がる。そして面白がる人達は、視野を広げたり、別のアングルから見ると、なんだかんだいるという話でもある。

たばこトークでイリイチの話となり、若林さんとしては、WIREDの誌面上でイリイチを改めて再構成しているという事を伺って、なるほど、という妙に納得してしまった。イリイチの言葉をRADLOCALの視点からみてもかなり面白いし、多くの示唆を得ることは間違いない。


余談だが、若林さんの話を聞いていると、CCC時代に出会った素敵な愛すべき大人達を思い出す。極端な言い回しだが、世間的には野ざらしなことに対しても、どこか偏狭的な愛というのか、エモさを多分に感じました。好きですね、こういう大人。



【 最終日 】 フラッシュバック会社員時代 お金は大事

いよいよ、最終日。
字数がえげつなくなってきているが、もう少しだ。。

午前中の講演は『greenz.jp』副編集長、NPO法人グリーンズ理事の小野 裕之さん。実は同じ歳という事実に揺さぶられる。(ちなみに白鵬も同じ年。)


greenzの中では編集というよりは、「ほしい未来はつくる」というコンセプトを実現のために、WEBメディアでは扱いきれないビジネスを通じて、ミッションを達成しソーシャルデザインの生態系づくりを行っている御方である。

例えばgreenzの収益は広告よりも新規事業開発をやっている。YAMAHAと連動して、音楽でコミニティをつくったり、全国200箇所ぐらいでDIY発電カルチャーを広げるワークショップしたり、東京の真ん中に新しい「まち」をつくるため「リトルトーキョー」という取り組みをしたりと様々だ。

リトルトーキョー

どのようにプロジェクトを具現化、収益化していくかの思考プロセスを分類×ビジネスモデルとして話されていた。具体的には、WEB・場所・タブロイド・場・イベントを分類とし、それに広告・課金・物販・コンサル・マーケットプレスといったモデルを掛け合わせること。普段から事業をそういう目でウォッチしておられ、例えば、ほぼ日の場合はウェブ×物販、R不動産はウェブ×広告(小さいクライアント)、離島経済新聞はタブロイド×ユーザー課金、暮しの手帖は雑誌×ユーザー課金(8割定期購読)みたいな。


その辺りは、何と言うか、自身のCCC時代においてサービス企画をバリバリに行っていた時の思考回路がフラッシュバックするというか、iamasに来て削ぎ落とされたのか、削ぎ落ちていったものが濃縮して飛び込んで来るような、ありがたい体験だった。


小野さんの凄いのは、成長モデルのメソッドを模索しつつも、ライターさんとの関係性や、ライフワークを含む、富の再分配のような視点も併せて持っていて、これは次世代型のリクルート感とでも言うべきか。多分、今のgreenzの躍進は小野さんの存在が大きいのは間違いない。


そういう意味で、逆にこの2年間はこのタイプの人は周りにあまりいなかったなぁ、というのを改めて気づかされる。iamasにいたら、と想像すると、恐ろしいような愉快なような。エモさ100%みたいな人ばっかりなので。ともあれ、今の活動も継続させるために、忘却されていた思考回路を呼び覚ます必要性も、改めて感じさせてくれた。



【ワークショップ3回目】 収益モデルに付随する心の所作とは



午後は最後のワークショップ。昨日のワークショップでうまれたアイデアを基にビジネスモデル・ジェネレーションを参照し、その体系に落としこんでいくという内容であった。





この要素の中で一番重要なのはVALUE(VP)であろう。これがビジネス上の取り組みであれば収益という意味でのVALUEで問題ないが、今回のRADROCALの観点で見るとすれば、収益の土台であるけど、一見収益に結びつきそうにないVALUEを見たほうがいいような気もする。だから参考としてAmazonは多分まずくて、もっと多層的なレイヤーのフレームワークがありそうな気がする。


それはワークショップ後のFabLabKamakura,LLC 代表である渡辺 ゆうかさんの講演の中で、個人的に一番の転機と思えるのが朝ファブの話という事にも繋がる。来てもらう人達が、あまりに多く、何故か怒られ、憔悴していった半年間を経験し、その後にサービスではなく、やってもらえる意識を変えるために、毎週月曜日の9時から掃除をした人だけ利用できるようにした、という話だ。その後のKULUSKAの事例も、Fab×TraditionalとしてのFUJIMOCK FESもそれがあったから生まれて生きている。


朝ファブ


SWAT分析とかビジネスモデル・ジェネレーションは詰まるところ「選択と集中」を行うべき手法だ。それは事業投資であったり、収益としてのVALUE、つまり等価としてのVALUEには有効だけれども、その土台となる別のレイヤーを分析するには別の手法が必要なのではないだろうか。渡辺さんはそれに気づいているからこそ、朝ファブの取り組みを体系的に毎回記録して、分析できるようにしてるのではないか。


(参照元:http://www.patinunezagency.com/fab-lab-house/)



バルセロナのFabCity構想などは完全にこの多層なレイヤーをどこまで丁寧につくり上げるかで、それが既存の都市の構造とは異なる”発展”というものが見えてくるのではないか。


バルセロナのFabCity構想


とはいえ、同時にキャッシュもやっぱり大事であることは言葉の節々から伝わってくる。それは数々のFabの現状をみて3つの失敗モデル①助成金モデル(3年間) /②最初からビジネスモデルを進めると軌道しない/③時代が早すぎた(うまくコミニティが作れなかった)の話もそうだし、事業を維持していくための葛藤があったからこそ重みがある。




怒涛の4日間を経て


実は渡邊ゆうかさんの話は、以前に渡邊さんがiamasに来られた時に聞いた話が結構かぶる部分もあった。ただ、改めて伺う中で、以前は気付かなかったことの多さに自身でも驚いた。恐らく、1年の活動が大きいのだろうか。4日間全体通して言えるが、実践として動いていたことで、そこを軸として考えることができたのは有難かった。去年の段階でこのワークショップに参加していたのであれば、多くが仮想の出来事として通り過ぎていったような気もする。



また全体のワークショップを通して、思った以上にお金の話が出てきたことは良い意味で期待を裏切ってくれた。現在、ピケティの「21世紀の資本」が世界的に議論の材料となっている(高い!!そして分厚い!!)。地域について考える場合も、というか地域だからこそこの論争は必須なのだろう。富というのが、単純にお金的な意味ではなく、もっと何気ない特技だったり、廃墟だったり、関係性だったり、もっと多様にあり、暮らす人達が”愉しむ”過程においても、再分配は行われるんじゃないかと、今回のワークショップは、そんな考えを巡らせる本当に良い時間を過ごさせてもらった。まあ何が一番Radだったか、と言うと阿東町で聞いた「既成事実を作ったらええ」だったりしたのだが。(まかり間違えればテロリストやで!)


信じられない長さになってしまったが、宿泊させて頂いたMACが外と家の中が同じ気温だったこと等々くだらない話も書ききれない4日間で、YCAMの皆さま、ゲストの皆さま、参加されていたRadな皆さま共々、本当にいい刺激を頂きました。多分また会うでしょうし、いい形で報告できるように精進します。



野郎たちで食べる朝食@MAC

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2014年12月14日日曜日

禊としてのドラクエ3と ingress 〜Radlocalに向けて〜


先ほど4日間におよぶYCAMにてRadLocalが完了し、大垣へ帰っている。とりあえず、今回の記録を書き留めたい滾る気持ちを抑えて、参加の目的というか、ちょっと書いておきたいことがあったのでそちらを先に枕的に書いていく。


今更ではあるが、ingressについて。メディア芸術祭にもエンタメ部門で大賞獲ったぐらいなので世間でも盛んに繰り広げれられているのだろうが、大垣プリズンでは都市での熱をダイナミックに知ることはできない。ただ少なくとも身内で凄まじい熱を帯び様である。

自身も登録はしたものの、なんとなく面倒くさそうなUIに身構えてしまい、登録だけしてしばらく傍観している間に、周辺では皆、戦略を練り、パラレルワールドで陣取りゲームが繰り広げられている。

周りの皆がingressをしている最中、自身はスマホで何をしていたかと言うとiPhone版ドラクエ3である。約1ヶ月、隙間時間を拡張しては、特売されていたアプリを購入してはひたすらプレイしていた。

自身とドラクエ3には浅からぬ因縁があって、まずその話を。



禊としてのドラクエ3

ドラクエ3の何が特別か、それは生まれて初めてプレイしたファミコンゲームなのである。実家が引っ越してすぐの出来事だったので割と鮮明に覚えている。1990年の冬のことで、クリスマスプレゼントとして始めて手に入れたゲームこそ、ドラクエ3なのだ。

始めてのファミコン、そしてドラクエ3はウキウキするとかのレベルじゃなかった。完全に別世界。職業を決め、名前を決め、行きたい場所に自由に行ける。ボードゲームの人生ゲームで職業の所得と格差の全体像を理解したように、ドラクエ3では職業に無駄はなく、ただ要領が必要なのだと学び、熱中し、プレイしていた。その因縁はゲーム終盤に起きる。バラモスを倒し、地下世界に向かいゾーマとの決戦。ゾーマとの対峙にはゾーマの王座の裏にある隠し階段から行かなければならない。この階段がインターネットもない時代の”少年俺”には何故か見つけられず、レベルだけがひたすらあがっていく。レベルも上がるに上がり、ゾーマだろうが、神竜だろうが、瞬殺できるレベルまでに達する。そこで事件は起きる。

データが消えたのだ。


これにより、『世の不条理』と『強さ≠目的達成』を完全に植え付けられた。結局、あのデータ消去の音楽を聴くのが怖く、ドラクエ3には手を出さずこの歳まで過ごし、そしてiPhoneアプリをみつける。自身の中での止まった時間を進めるため、禊としてのドラクエ3に取り組んだのだ。

あの時の俺にはできなかったプレイをする

せっかくプレイをするのだから、大人のためのドラクエ3の楽しみ方を模索した。簡単に出来るのは名前の付け方である。出来るだけ自身の脳内再生が愉快になるようにセットした。

まずは名前。



現在、世の中で最も危険なオトコは誰か、と思い浮かべたのがプーチン。
最強の遊び人から賢者へ転職させる人物として千利休(リキュウ)。
女性盗賊としての愛してやまないヒット・ガール(クロエ)。
他にも商人としてミナミの帝王ことマンダ (ウシジマと迷う)
大魔法使いとしてきゃりーぱみゅぱみゅ。

そんな感じで仲間を増やしてはパーティを決める。(名前の構想だけで1〜2時間を費やした。)戦闘シーンになると、この3人が暴れている姿を想像するだけで痛快だった。(リキュウが弱すぎて、賢者にするまでイライラする。)

世界地図を模倣したMAP



ジパングがあるのに少年俺は何故、気づかなかったのだろうと不思議なのだが、この世界の地図は、現実の世界地図に非常に模して作られている。つまり製作陣のその土地の認識をメタ的に知れる。それに気づいてからは、ドラクエ3の世界を旅するのが俄然面白くなった。ちなみに龍の女王の城がロシア(当時はソ連)にあり、世界樹の木が中国にある。いちいち深読みしたくなる。次に行く土地はどんな世界になっているのか。このゲームが1998年に誕生し、ベルリンの壁崩壊が1999年なのでそこを挟むとまた違った表現になったかもしれない。

ちなみにドラクエ3をプレイした後に、コミックのロトの紋章を読むのが面白すぎる。実際にドラクエ3(正確にはロトの紋章シリーズ)で登場した世界が、2次元で再現されているため。そんなこんなで大人としてのドラクエ3は十二分に愉しませて頂いた。



ingressに話を戻す。ingressがやっていることはGoogle MAPの土地情報に全く別の意味を付け加える。自分で街にどんどんポータルを追加することもできるわけだ。普段歩かない道を歩いたり、以外な場所によくわからない地蔵とか見つけたりするものだから、日々の発見という点でも、ものすごい。スケボー乗って、いい道探すと同じ身体性と言えるんじゃなかろう。

ingressがウェアラブルの布石であることはなんとなくわかるけど、Google MAPを作っている時からこの構想を描いてたとしたらちょっと怖い。この先、どこまで先を見据えているのかと。もしGoogleが予想しない展開を描くとすれば、今は青と緑の両方に別れている人達が、ハコニワの鳥から覚醒し、本物のレジスタンスとなりGoogleと戦う、そこでの武器はハックしたingressみたいな。最高だな、とか夢想する。


まあその話はいいや。

この2つの比較が遊びの想像力いう点において非常に面白い。

自身のドラクエ3での遊び方はゲームの世界を現実に投影しながら遊び、ingressでは現実世界をゲームに投影しながら遊ぶ。

プロレス的深淵な思考法

遊びの想像力とは見立てのことだ。ドラクエ3での自身の遊び方は、言うなれば”見立て”だ。バカっぽい言い方をすれば妄想プレイだ。2次元の世界に奥行きをもたせ、キャラクターをリアルな人物に置き換え、実物の土地とゲーム内の土地を比較し、作り手の思考を深読みする。これは”プロレス者”がよく行う思考傾向で、プロレスの世界を現実に投影することをよく行う思考癖がある。(最近ではプチ鹿島がその筆頭者である。)


一方、ingressに見立てはあるか?といわれれば、全くないとも言えるし、ずっと見立て続けているとも言える。つまり、実空間に新しい意味(価値)を足すという意味で見立てっぱなしだが、Googleの提供している箱の中で完結しているという意味では見立てはないとも言える。



神社と地蔵にスマホ上で触れていったら、占領するだけではなくて、そこのご神体からその土地の風土とかを深読みしていって、それの連鎖でさらに獲得が増える的なことのほうが個人的には楽しかったりする。簡単に言うとコンテキストで愉しむことなのか、、な。

ingressはコンテキストさへも飲み込む

驚いたのがGoogleはコンテキストまでもingressで拡張している。ingress内で自身のお気に入りのポータルを探索するための機能としてツアーがあるのだ。これで個人のコンテキストをingress内にどんどん提供できちゃうわけだし、これが位置情報に、さらにGoogle MAPにもどんどん付与されていったら、やばいな。ゲームの求心力を持ちつつも、コンテキストを愉しめるわけだ。やばいやん。



ここで強引にローカルに繋げると、観光するのに強力な要素になるだろう。ある土地の有名な歴史的な建造物とか、偉人とかだけではなく、もっとパーソナルに近い情報がゲーム内でいっぱい溢れているわけですよ。観光MAPよりもDopeな情報がもう気軽に手に届くことになる、なんなら、街の不倫事情とかもわかっちゃうかもしれないわけですよ。

少なくとも、街の人達が暮らす街を異なる使い方や目線で観ると言う意味ではingressは強力だけども、自立共生的なサイクル、生態系は産まれない。ドラクエ3で遊んでいたような“見立て”を日々の生活に持ち込めばいいかと言われれば、そういうものでもないことを、自身の美濃で行ったワークショップなどでも体感した。以前の投稿でも記載したが、メディアは結局道具で終わって、仕組みにならなければ、飛び道具で完結してしまう。じゃあどうするんや?というのを自身の美濃等の活動もそうですが、Radlocalで見定めれないものかなぁ、と考えていたわけです。

まあ他にも色々と目論見はありましたが、
それは出来事と併せてレポートということで。

枕なのに長くなってしまったので次回。
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