2014年12月14日日曜日

禊としてのドラクエ3と ingress 〜Radlocalに向けて〜


先ほど4日間におよぶYCAMにてRadLocalが完了し、大垣へ帰っている。とりあえず、今回の記録を書き留めたい滾る気持ちを抑えて、参加の目的というか、ちょっと書いておきたいことがあったのでそちらを先に枕的に書いていく。


今更ではあるが、ingressについて。メディア芸術祭にもエンタメ部門で大賞獲ったぐらいなので世間でも盛んに繰り広げれられているのだろうが、大垣プリズンでは都市での熱をダイナミックに知ることはできない。ただ少なくとも身内で凄まじい熱を帯び様である。

自身も登録はしたものの、なんとなく面倒くさそうなUIに身構えてしまい、登録だけしてしばらく傍観している間に、周辺では皆、戦略を練り、パラレルワールドで陣取りゲームが繰り広げられている。

周りの皆がingressをしている最中、自身はスマホで何をしていたかと言うとiPhone版ドラクエ3である。約1ヶ月、隙間時間を拡張しては、特売されていたアプリを購入してはひたすらプレイしていた。

自身とドラクエ3には浅からぬ因縁があって、まずその話を。



禊としてのドラクエ3

ドラクエ3の何が特別か、それは生まれて初めてプレイしたファミコンゲームなのである。実家が引っ越してすぐの出来事だったので割と鮮明に覚えている。1990年の冬のことで、クリスマスプレゼントとして始めて手に入れたゲームこそ、ドラクエ3なのだ。

始めてのファミコン、そしてドラクエ3はウキウキするとかのレベルじゃなかった。完全に別世界。職業を決め、名前を決め、行きたい場所に自由に行ける。ボードゲームの人生ゲームで職業の所得と格差の全体像を理解したように、ドラクエ3では職業に無駄はなく、ただ要領が必要なのだと学び、熱中し、プレイしていた。その因縁はゲーム終盤に起きる。バラモスを倒し、地下世界に向かいゾーマとの決戦。ゾーマとの対峙にはゾーマの王座の裏にある隠し階段から行かなければならない。この階段がインターネットもない時代の”少年俺”には何故か見つけられず、レベルだけがひたすらあがっていく。レベルも上がるに上がり、ゾーマだろうが、神竜だろうが、瞬殺できるレベルまでに達する。そこで事件は起きる。

データが消えたのだ。


これにより、『世の不条理』と『強さ≠目的達成』を完全に植え付けられた。結局、あのデータ消去の音楽を聴くのが怖く、ドラクエ3には手を出さずこの歳まで過ごし、そしてiPhoneアプリをみつける。自身の中での止まった時間を進めるため、禊としてのドラクエ3に取り組んだのだ。

あの時の俺にはできなかったプレイをする

せっかくプレイをするのだから、大人のためのドラクエ3の楽しみ方を模索した。簡単に出来るのは名前の付け方である。出来るだけ自身の脳内再生が愉快になるようにセットした。

まずは名前。



現在、世の中で最も危険なオトコは誰か、と思い浮かべたのがプーチン。
最強の遊び人から賢者へ転職させる人物として千利休(リキュウ)。
女性盗賊としての愛してやまないヒット・ガール(クロエ)。
他にも商人としてミナミの帝王ことマンダ (ウシジマと迷う)
大魔法使いとしてきゃりーぱみゅぱみゅ。

そんな感じで仲間を増やしてはパーティを決める。(名前の構想だけで1〜2時間を費やした。)戦闘シーンになると、この3人が暴れている姿を想像するだけで痛快だった。(リキュウが弱すぎて、賢者にするまでイライラする。)

世界地図を模倣したMAP



ジパングがあるのに少年俺は何故、気づかなかったのだろうと不思議なのだが、この世界の地図は、現実の世界地図に非常に模して作られている。つまり製作陣のその土地の認識をメタ的に知れる。それに気づいてからは、ドラクエ3の世界を旅するのが俄然面白くなった。ちなみに龍の女王の城がロシア(当時はソ連)にあり、世界樹の木が中国にある。いちいち深読みしたくなる。次に行く土地はどんな世界になっているのか。このゲームが1998年に誕生し、ベルリンの壁崩壊が1999年なのでそこを挟むとまた違った表現になったかもしれない。

ちなみにドラクエ3をプレイした後に、コミックのロトの紋章を読むのが面白すぎる。実際にドラクエ3(正確にはロトの紋章シリーズ)で登場した世界が、2次元で再現されているため。そんなこんなで大人としてのドラクエ3は十二分に愉しませて頂いた。



ingressに話を戻す。ingressがやっていることはGoogle MAPの土地情報に全く別の意味を付け加える。自分で街にどんどんポータルを追加することもできるわけだ。普段歩かない道を歩いたり、以外な場所によくわからない地蔵とか見つけたりするものだから、日々の発見という点でも、ものすごい。スケボー乗って、いい道探すと同じ身体性と言えるんじゃなかろう。

ingressがウェアラブルの布石であることはなんとなくわかるけど、Google MAPを作っている時からこの構想を描いてたとしたらちょっと怖い。この先、どこまで先を見据えているのかと。もしGoogleが予想しない展開を描くとすれば、今は青と緑の両方に別れている人達が、ハコニワの鳥から覚醒し、本物のレジスタンスとなりGoogleと戦う、そこでの武器はハックしたingressみたいな。最高だな、とか夢想する。


まあその話はいいや。

この2つの比較が遊びの想像力いう点において非常に面白い。

自身のドラクエ3での遊び方はゲームの世界を現実に投影しながら遊び、ingressでは現実世界をゲームに投影しながら遊ぶ。

プロレス的深淵な思考法

遊びの想像力とは見立てのことだ。ドラクエ3での自身の遊び方は、言うなれば”見立て”だ。バカっぽい言い方をすれば妄想プレイだ。2次元の世界に奥行きをもたせ、キャラクターをリアルな人物に置き換え、実物の土地とゲーム内の土地を比較し、作り手の思考を深読みする。これは”プロレス者”がよく行う思考傾向で、プロレスの世界を現実に投影することをよく行う思考癖がある。(最近ではプチ鹿島がその筆頭者である。)


一方、ingressに見立てはあるか?といわれれば、全くないとも言えるし、ずっと見立て続けているとも言える。つまり、実空間に新しい意味(価値)を足すという意味で見立てっぱなしだが、Googleの提供している箱の中で完結しているという意味では見立てはないとも言える。



神社と地蔵にスマホ上で触れていったら、占領するだけではなくて、そこのご神体からその土地の風土とかを深読みしていって、それの連鎖でさらに獲得が増える的なことのほうが個人的には楽しかったりする。簡単に言うとコンテキストで愉しむことなのか、、な。

ingressはコンテキストさへも飲み込む

驚いたのがGoogleはコンテキストまでもingressで拡張している。ingress内で自身のお気に入りのポータルを探索するための機能としてツアーがあるのだ。これで個人のコンテキストをingress内にどんどん提供できちゃうわけだし、これが位置情報に、さらにGoogle MAPにもどんどん付与されていったら、やばいな。ゲームの求心力を持ちつつも、コンテキストを愉しめるわけだ。やばいやん。



ここで強引にローカルに繋げると、観光するのに強力な要素になるだろう。ある土地の有名な歴史的な建造物とか、偉人とかだけではなく、もっとパーソナルに近い情報がゲーム内でいっぱい溢れているわけですよ。観光MAPよりもDopeな情報がもう気軽に手に届くことになる、なんなら、街の不倫事情とかもわかっちゃうかもしれないわけですよ。

少なくとも、街の人達が暮らす街を異なる使い方や目線で観ると言う意味ではingressは強力だけども、自立共生的なサイクル、生態系は産まれない。ドラクエ3で遊んでいたような“見立て”を日々の生活に持ち込めばいいかと言われれば、そういうものでもないことを、自身の美濃で行ったワークショップなどでも体感した。以前の投稿でも記載したが、メディアは結局道具で終わって、仕組みにならなければ、飛び道具で完結してしまう。じゃあどうするんや?というのを自身の美濃等の活動もそうですが、Radlocalで見定めれないものかなぁ、と考えていたわけです。

まあ他にも色々と目論見はありましたが、
それは出来事と併せてレポートということで。

枕なのに長くなってしまったので次回。
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