2015年3月20日金曜日

キエるマキュウから考える ヒップホップの愛と自由


論文やら卒展やらで全然更新できてなかったが、
書きたいことが溜まっているので、今後はちょいちょい書いていく。

今回は年度末ということで、今年よく聴いた音楽について書いてみる。
まずはこちらを。



キエるマキュウが好きだ。funk、soul、funk、モータウンあたりの良質な元ネタから紡ぎだされた綺羅びやかなトラックに、詰め込まれた底抜けに下衆いリリック。虚像と実像を持ち併せ、既存のイデオロギーや価値観を無効に。

そんなキエるマキュウのMCであるMaki the Magicは2013年7月14日、脳内出血のため逝去。上記のトラックはその後、2014年3月26日にトリビュートアルバムとして作られた『DEDICATED TO MAKI THE MAGIC - MAGIC MAGIC MAGIC』のキエるマキュウのトラックだ。まさに永久不滅のふたりだった。その後、2014年7月と10月に2枚のベストアルバムがリリースされた。



ほとんどの曲が既聴だったのだが、年末頃に2枚まとめて手に入れた。「ザ・シークレット・オブ・キエるマキュウ~大リーグボール二号のひみつ」の1曲目「Mawase Roulette」から度肝を抜かれた。完全に別の曲だった。その他の曲も、キエるマキュウのDJ ILLICIT TSUBOIにより、リエディットされていた。ラップは同じでもトラックが完全に別だったり、オリジナルと比べても音質が底上げされていたり、本当に素晴らしいアルバムだった。喫茶店で聴いていた自身は不覚にも涙ぐんでしまった。まさに今できるベストを尽くしたベストアルバム、ヒップホップには自由と愛が許されてるなぁ、つくづく感じた。

RHYMESTER宇多丸による追悼コメントはさらに泣きそうになっちゃう。

ライムスター宇多丸 MAKI THE MAGICへの追悼コメント

ヒップホップの自由と愛とは、なんぞや。
近頃ヒップホップをしばしば聴くその心境の変化とも紐づいているのではないかと、少しヒップホップについて調べてみた。史実というよりも、カルチャーのようなものを。

参考としたのはこれら。
ヒップホップ・ジェネレーション欲しかったけど高ぇ!!9,000円て!!!)





『文化系のためのヒップホップ入門』の冒頭に、ずばりヒップホップとは何かについての記述がある。

一定のルールのもとで参加者達が優劣を競う合うゲーム、つまりコンセプションです。 p19

この一つとして、音楽として聴くというよりも、その派閥構造だったり、売れ方だったり、ビーフだったり、音楽だけでなく物語まで含めて愉しむということがある。その愉しみ方には慣れ親しんでいる。プロレスがまさにそうである。四角いリングにおける虚構と現実の狭間を愉しむ術をプロレスは教えてくれている。実際に、本の中でヒップホップはプロレスである、という項目があるぐらい。


個人的には物語よりも、その手法に興味がある。サンプリングと言葉の妙をどれだけ味わえるか、ということ。子供の頃からそうだが、ボーカルが入っている曲は、歌詞がほとんど頭に耳に入ってこない。メロディだけ。だから、歌詞で泣いたりすることもなく、歌詞の情緒を感じることがほぼない。一方、ヒップホップは言葉が耳に入ってくる。この違いは何か。それを探るに、少しだけヒップホップの史実を辿る。

ヒップホップの初期衝動 → ジャマイカ

ヒップホップの始まりはジャマイカに辿り、同時にそれはサウンドシステム・レゲエのルーツとも重なる。1950年頃からアメリカのジャズやブギウギを低音を強調したスピーカーを搭載した野外移動ディスコによるパーティが開かれるようになり、それがサウンドシステムの始まりとされる。この場はジャマイカの人々にとって、娯楽の中心であり、出会いの場であり、情報交換や商売の場でもあった。


サウンドシステム、アメリカへ

1962年にジャマイカが独立すると、アメリカへの移民が大量に増え、その多くはマンハッタンの北サウスブロンクスに移り住んだ。


その要因となったのがロバート・モーゼズvsジェイン・ジェイコブスの都市論でも、しばしば事例としてあげられる1960年代のブロンクス横断高速道路の影響だ。当時のブロンクスは白人やユダヤ人など中産階級の人々が暮らす街だったが、家賃負担の大幅な上昇、騒音と排気ガスなどが原因となり、そこに居た人々がブロンクスを出ていってしまう。元々、安価な物件だったことに加え、メンテナンスもされないことから家賃が急落。そこにアフリカ系黒人、ジャマイカ系黒人、ヒスパニックが流れ込むことになった。ニューヨーク市もサウスブロンクスに行政の力を入れなくなっていくと、どんどんとスラム化が進んでいく。


エゲツないのが、この地区の放火である。その犯人はその家の持ち主で、家賃が下がり、キャッシュが入らないくらいなら火災保険でもらうと、さらに保険会社のセールスマンの報酬も出来高であったことから、73年〜77年の間に3万件の放火があったとされる。(単純に1日15〜16件 !!? )これはUrban decay:都心の荒廃として、象徴的な出来事であった。

価値観の逆転。ブレイクビーツ誕生

話をヒップホップに戻すと、当時流行であったニューソウルやR&Bはブロンクスで暮らす人達には洗練されすぎており、自分たちが好むジェイムス・ブラウン等のファンクのレコードを電線から電気を勝手にひっぱり、公園や公民館でパーティを開くことを行う。これはジャマイカで生まれたサウンドシステムの流れであり、ブロック・パーティーはここから始まった。

当時のDJはふたつのターンテーブルとミキサーでレコードを途切れなくかけるだけだったが、ヒップホップ創造者のひとりとされるクール・ハークは、パーティが盛り上がるのは曲の一部分であることに気づいた。有名な例で言うと、ジェームス・ブラウンのFunky Drummerは5分経ってからのドラムブレイクが一番盛り上がっていた。2枚のレコードで、その部分をフェーダーを使って繋げたのだ。これがブレイクビーツの始まり。ちなみにクール・ハークがパーティを開く動機は娘の学校に行くための服代を稼ぐという、完全なるジャイアン・リサイタルといういい話付き。

5:34からのドラムブレイクからヒップホップの歴史が動き始める

これ以降、50セントや1ドルで売られているようなロックをはじめ様々なレコードをディグる行為が行われ、大量のブレイクビーツが産み出されていった。その後、サンプリングに繋がるわけだが、この部分だけ抜き出して繋ぐ、という行為が革命的な発明だと改めて思う。この試みはストリートカルチャーだったり、フリーカルチャーの思想にも通じるし、巨人の肩で踊る行為とも言ってもいい。ラップも同様でブロック・パーティー時代に大量に作られたフレーズやパンチラインが和歌で言う、本家取りのようなカタチで築かれていく。ひとつの元ネタでどれだけ変奏できるかに面白味を見出すということだ。

ロックも先駆者の影響を受けて新たに更新されたとも言える。例えば、StrokesのデビューアルバムにはCUREのベースラインを丸パクリしている曲があると公言しているし、言うなればロックが「参照」とすれば、ヒップホップの場合は「編集」と言える。

この後、アフリカ・バンバータが「クラフトワークはファンクだ」という名言の裏側には資本主義体制の奴隷化→ロボットを自覚的であることで、支配/被支配の構造を転覆するアフロ・フューチャリズムの話だったり(坂本慎太郎!!!)、デフ・ジャムの降盛、ギャングスターの登場による画一化のイメージ、凄惨なビーフといったヒップホップ叙事詩が語られるがそれは長くなるので読んで頂ければと。いくつかその中にあった曲を紹介。

ニューウェーブとヒップホップの邂逅

ブレイクビーツの初期の傑作

サンプリング時代以降の格段に音がよくなったヒップホップ

もうひとつ興味深かったのはロック/フォークとヒップホップを比較した「ドロップ・イン」「ドロップ・アウト」の話も紹介する。

ロックは成功が皮肉に、ヒップホップはステータスに

ステレオタイプの論調っぽいけど、ロックが「資本主義社会の中核を担う中産階級からのドロップアウト」だとすると、ヒップホップは資本主義から締め出されちゃった人が、文字通り言葉の力で資本主義に参入していくための手段で、これがドロップイン。ロックで成功して、ドロップアウトを歌うことに必然的に矛盾が産まれていき、中ではジム・モリソンやカート・コバーンのような道をたどる人がいる。一方、ヒップホップは成功することへの葛藤が全くないため、これみよがしにデカい家や高級車を手に入れる。ただ、他殺される恐れがあると。

ハッシュタグ ラッパーの車

またロックでよく使われる常套句として「天才」「偉大なアーティスト」という言葉の背景には、心の内面、遡ると西洋の宗教儀礼的な告白に由来していることに対して、ヒップホップは作品を作り出すきっかけが「内」ではなく「外」にあり、さらにロックが「個」であることに対して、ヒップホップが「場」に即するとも言及している。ロックのオリジナル信仰と同義で、一人のスターがあられることにより新しいシーンが産まれ、そのフォロアーが量産される。ヒップホップは皆がトップを争ってボトムをあげていくイメージ。実際にヒップホップは他のジャンルの音楽と比較しても、誕生から凄まじいスピードで変容を繰り返している。

(これはもしや柳宗悦が時代が超越的な天才のつくる工芸品に嫌気を思い、下手物とされていた民芸品に光を見出した行為とも似てるとも言える。ある意味、民藝を進めていた濱田庄司や芹沢けい介はクルーともいえなくもない・・??)

サンプリングや、ブレイクビーツ、本家取りのようなラップのことでもあり、さらに語られる言葉は、抽象的ではなくその場のリアリティが伺えるものだ。多分、自身が歌詞が耳に入ってくる違いはこのあたりにあるのかもしれない。事例としてこの曲を。


キエるマキュウ屈指の多幸感溢れるアンセム「do the handsome」。この曲のフレーズは当時のレコーディング・スタジオに転がっていた風俗情報誌にあったキャッチを、サンプリングしてそのまま使用したという。「外」というにはあまりに直接的すぎる気もするが、このエピソードは大好きだ。

ヒップホップは過去のデータベース、周りの環境、場にアクセスし、その中で作品の妙を産み出していく。ヒップホップならなんでもイケるわけでもなく、様々なジャンルの音楽を源流としているヒップホップが好きだ。日本で言うと、キエるマキュウもそうだし、田我流、鎮座ドープネス、Oliveoil、Febb等々。(K-bongと田我流のインタビューは良かった。)一方で、AKLOとかSALU等には洗練されすぎてて、J-pop職人みたいなトラックだからなのか、コク深さをあまり感じない。ギャングスタヒップホップも同様だ。

地方主義とヒップホップ

ブロック・パーティーから始まり、ドロップインの構図からみるヒップホップに通底しているスタンスというのは、その場をどうにかして心地良いものにするために働く。レペゼンという言葉に象徴されるように地元主義が強いヒップホップではあるが、日本のヒップホップシーンを見ると、それが顕著にみることができる。


著者、都築響一は2005年の著書「夜露死苦現代詩」の中で、死刑囚の俳句、障害者のつぶやき、暴走族の特攻服の刺繍詩まで、言葉のもつリアリティ、強度が現代詩人よりもはるかに胸を打つ言葉として紹介していた。そしてそこから6年後、詩人たる言葉を持った人達を地方にいるラッパーに見出し、そのインタビューをまとめた本だ。

この中に田我流のインタビューがある。「B級映画のように 2」の後半のトラック、stillichimiyaの陽気な面では観ることができない、痛みを感じる心の吐露がどのように産まれていたのかがわかる。ギャングでもないし、タフでも、マッチョでもない。ビッチやドラッグにも謳わず、都会的ですらない。退屈な地方の日常にある一握りの希求が込められている。それらはまるで妙好人のようでもある。


現在のstillichimiyaのメンバーは映画「サウダージ」で描かれていたような、地方での焦燥感からブレイクスルーし、MMMとMr麿はスタジオ石で活動してたり、young-gはトラックメイカーとしてやってたり、山梨を軸に愉快な感じでやっている。


定期的に配信される田我流が地元一宮を紹介する「うぇるかむとぅやまなし」や釣り動画は自虐的でもなければ、地域礼賛でもない、地続きの日常が垣間見れる。


これも好き。


その場のリアリティを表現するという意味で、地域におけるヒップホップは代わり映えしない日常さえもひとつの要素として変奏される。それも含めて「一定のルールのもとで参加者達が優劣を競う合うゲーム、つまりコンセプション」として見ると味わい深い。ボリス・ヴィアンのように音楽、ファッション、文筆家と様々な面を持つ菊地成孔がOMSBをぺぺ・トルメント・アスカラールとコラボさせたり、JAZZDOMMUNISTERSでヒップホップを始めたのも、なんだか理解ができる。

【インタビュー】 DCPRG 菊地成孔 × ヒップホップ

自身の論文の中でローカリズムについて述べた。簡単に言うとグローバリズムに内包される価値算出のためのローカリズムではなく、持続可能である生態系を持ったローカリズムがあるし、必要だと。それは身内で閉鎖的になることでは決して無く、マイルドヤンキーとも決定的に異なる。論文には入れなかったけれども、頭の片隅にはずっとstillichimiyaや地方で活躍するヒップホップの人達が浮かんで、たまに論文の中で、なんとなく韻を踏んだりしては、やべぇやべぇって書きなおしを繰り返していた。地域復興、まちおこし等に関わる人達は、たぶんこのことは無視できないことだと思ったりする。

これはヒップホップに限らず、音楽全般に言えることなのかもしれないけれど、長くなりそうなので、またどこかで。

メジャーフィールドで躍る、2人の地方在住者 - SALU×tofubeats対談 - 音楽ナタリー

これまで長々とヒップホップについて書いてきたけど、2015年度、圧倒的に聴く、というか既に聴いてるアルバムとして最後に紹介するのが5年ぶりのアルバムが4月29日に発売されるnetworks。ここ2年、離れてみて改めてわかるnetworksの祈りと言いましょうか、あまり言葉にすると嫁の可愛さを紹介するみたいな、野暮な感じになりそうなのであれですが、ローカリズムが都市でも実践できることを一番近くで示してくれていたのが彼らかもしれないなぁ、と最近よく感じたりしています。なにはともあれ、日常に余りある祝祭をこのアルバムがもたらしてくるのは間違いないんで。なんせ、DYNAMIC NATUREですから。








5年って、ほんと凄いね。ちなみに、キエるマキュウはジャケットで紙袋をかぶっておりましたが、どうやらnetworksもダンボールをかぶっております。なんだろうね、かぶりたい人達が好きなのかもしれませんね。おれもがんばる。do the handsome。




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