2014年4月29日火曜日

「飲みカワイイGP」と「イノベーションのジレンマ」、そして猪木イズムとは

最近、高尚なことばかり考えていたので、ひさびさに駄文を書き散らす。



東海地区ではゴットタンは関東と比べ、ほぼ1ヶ月遅れで放送がされる。
先日遂に待望の第3回飲みかわいい選手権が放送され、見終えた。

基本的にゴットタンに登場するグラビアアイドルや女優は登場するメリット・デメリットの差が激しく、酷すぎる言い方をすると汁男優的な扱いか、もしくは世間まで認知が届くブレイクスルーを果たすかのデッド・オア・アライブな登場の仕方なのだ。

例えば、キス我慢の”みひろ”は後者の見事なものであったし、最近では苦労するアイドル小池はその可能性を秘めている。そして飲みかわいい選手権において中村静香はその顕著な成功例であった。第1回、第2回では圧倒的な飲み姿により、世の男どもに生きる勇気を与えたといっても過言ではない可愛さを発揮し、待望の第3回である。
結論から言おう。

思ってたんと違う

残念でならなかった。番組のオープニングで中村静香自身が話したように、ゴットタンから新しい仕事が舞い込んでいるという状況が生まれているのだ。当然だ。俺が酒造メーカーなら、この逸材を放っておく手はない。ただ、今回は明らかにその事務所なのか本人かはわからないが、その作為的なふるまいが全力でみてとれた。

これは第2回と第3回を観てもらうと一番わかりやすい。







いくつか焦点を絞ってみていこう。

舞台の違い

第2回が居酒屋のような舞台であるのに対して、第3回はびっくりドンキーで飲むみたいな安い酒場、どこかセットみたいな飲み屋である。この違いは、周りのお客のざわつき、店員の存在感、照明の光度による親密さの発生、座る場所が地続きであることによる距離感など、違いがある。

カメラ=視聴者を意識したふるまい

決定的なのは、カメラの存在だ。第3回の中村静香は圧倒的に外部のカメラを意識している。もはや酔っ払ってないようにも見える、つまり正気で演じている。この企画の醍醐味というのは、酔っ払って外部の意識が無くなり、バクシーシ斉藤Dとの2人の空間が垣間見えるところにあって、雑に言い換えると純粋にイチャイチャしている姿だ。今回は空間的にも中村静香の意識的にもこのキャッキャした世界が産まれていない。オダギリジョーにあやとりを用意することからも、まさにカメラの向こうの人に向けた作為的ななふるまいなのである。

岸明日香の”闇の深さ”

そんな中、第3回で圧倒的に良かったのが岸明日香である。彼女は、完全にふたりの世界を生み出していた。それはバクシーシDの主観カメラの映像が多かったこともあるが、それは彼女が常にバクシーシDに意識が向いていたからである。(彼女の無意識なカメラの向こう側への演出である可能性もあるが、それを世では名女優、もしくは怪物という。)

これは中村静香とは性質が異なる。中村静香との閉鎖的なキャッキャ空間が陽であれば、岸明日香は陰である。恐らく中村静香との飲みは、その場での開放感、世の男性達は家庭的や様々なリスクを犯せない現実の中での、刹那的な非日常感を中村静香の飲み姿に見るのだ。オヤジ達のディズニーランドと言っていい。一方、岸明日香は下衆な言い方でいうと、その向こうに性を感じさせる。おスイッチが入る。背徳的なものが漂う。正直、こじらせる危険しかない。

だがそこがいい。

あの主観で、あの座り方で、あの表情をされたら「ありがとうござました。」と言わざるをえない。個人的な主張でしかないが。

ともあれ、第3回でいうと、飲みカワイイGPの趣旨を一番体現していたのは岸明日香であることは間違いない。今回は、既定路線の優勝であったが、飲みカワイイの良さは酔っ払ってしまえば作為的なものが崩れる可能性があること。次は完全にベロベロになって、ガチな飲みかわいいGPを期待する。

成功のジレンマを破壊する

この傾向はゴットタンの他の特集においても頻繁に見られることである。例えばバナナマン日村がおねぇキャラとなる「ヒム子」も結果的に、同じジレンマを抱えた。恐らく一番のピークは”逢沢りな”の回ではないか。



笑いと涙を実験的の試行錯誤の果て、日村の演技力によって稀有なモンスターが完成した瞬間であった。ただこの回以降は映画で言うスマッシュヒットした映画が2、3がその成功パターンを踏襲し、さらに爆発量や登場人物の複雑さを増すことで、スケールを拡大するのと同じ路線を辿る。数回はこれは視聴者の欲求を満たすが、ある一線を超えると”やり過ぎ“に至ってしまい、視聴者はそれに敏感なのだ。

(参考)
【ニコニコ動画】サタデーナイト・ラボ "やっぱり2が好き!、それでも3が好き!"

これはどうやら、企業におけるイノベーションのジレンマの構図とよく似ている。市場で安定したビジネスを展開する企業は、主要な顧客ニーズへの対応に気を取られるあまり、新たな成長市場を創る重要な技術がみえなくなってしまうのだ。

[出典]クリステンセン(伊豆原弓訳)『イノベーションのジレンマ ---- 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』翔泳社,2001,p.10


ゴットタンが凄いのが次から次へと新しい企画を産み出し、その企画が消費し切る前に新しい企画を次々と産み出すこと。現在のテレビでこの破壊的イノベーションを体現しているのはゴットタンだけなんじゃないかと思ってしまうぐらい頼もしい。放送事故みたいな回もなくはないけど。


いちいち、プロレスを引き合いに出すのもあれだが、これこそまさに猪木イズムなのである。馬鹿になれである。観衆に媚びずに、手のひらにのせる。プロレスの歴史とは創造と破壊とマンネリの歴史なのだから。

テレビ番組はほとんど見なくなってしまったが、ゴットタンとワールド・プロレスリングだけは欠かさずに見続けているのは、そんな期待を込めてだからだろうか。

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