4tトラックに3人分の荷物。泣きそうだった。
引越しから2週間が経ち、新居での生活も慣れ親しんできたのと、引越しを巡る一連が身体への負担が凄かったものの、愉快なものであったので、その忘備録として。
わずか3キロの環境と生活の変化
IAMASの寮から大垣の新幹線沿いのアパートへ。同居人は共にIAMASを卒業して大垣で生き抜く友人。3人だったが、ひとりはめでたく面白い仕事にめぐり合い、わずか2週間での旅立ちとなった。距離にして自転車で15分ほどの距離でしかないが、”住む場所が変えること”の微細な変化が如実に表れてきている。
風景はもちろん、移動手段や、日々の食料の調達、休日の過ごし方までさまざまと変わる。もう暫くすれば、それらは習慣となるか。習慣が変われば、人生も変わる、ってことを野村監督が言っていたような気もするが、あながち間違いではないかも。
「風土」と「生活様式」
和辻哲郎は「風土」の中で、歴史的・社会的に現れる人間の想像力や思惟が風土によって形成されるとし、欧州、アラビア半島、日本での比較を例に挙げている。
日本にとって自然は、火山、地震、津波と時に脅威であるが、五穀豊穣を祈る恵みそのものでもある。自然を制服しようとも、また自然に敵対しようともぜず、反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従をその基質としてみている。
永続性の長久
かたやヨーロッパの風土の特徴を「牧場」としている。工場や機械なども緑の牧場の延長であると。自然の恵みが忍従して待つことだけでは恵みが充分でない一方で、自然に対して不断に敵対的な態度をとらずとも、自然が人を脅かすこともない。人間によって自然が一度、管理されれば従順な生産が生み出せると。これは西洋の哲学が人間中心主義としての哲学が発展してきたこととも通じる。
ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは最初の水道を引いた人物であるが、これが人工によって自然の拘束を打ち破った象徴的な例としている。
これらは宗教や文化、建造物、思想の現れについても通じるものとして丁寧に記されている。それらは優劣の問題ではなく、そういうものである。この系譜をもっと風土に加え、地政学などを探っていくと「銃・病原菌・鉄」のように見通しも広がるのだろう。
大きな枠組は、世界中でどこにいっても同じ音楽が聴けるようになったグローバルな現在において、薄れてきているのかと思いきや、近年の情勢をみていると如実にその傾向が良くも悪くも出ているように思える。物騒だけど、節目の時代とも言えるか。
風土の網の目を細かくしていく
これらの「風土」と住む場所における生活様式の違いは当然、食事等にも及ぶ。よく日本の海岸線の地域では料理がシンプルなものが多くみられるのは、素材の鮮度が高いため、手を加えずとも美味しく食べれるという話を聞いたことがある。中華の四大料理は北京、上海、四川、広東の風土における違いからだ。四川の麻婆豆腐が辛いのにも、薩摩で芋焼酎が飲まれるにも理由があるんだな。
見えないものに、目を凝らす
多分、前にいた寮と今の家ぐらいの距離でも、環境における「意味」「理由」「関係性」などの違いは結構ある。雑な例だが、新居の近くのスーパーは、以前の最寄りスーパーである全くワクワクしないイオンのスーパーと比べ、商品の品揃えが玄人向けな食品まで取り揃えており、かつ安いことから、日々の料理に磨きがかかっている。さらに謎のフィリピンパブなどや、隠れ家的なお店なども意外とあり、暫くは飽きることがなさそうだ。
現在ある建物だけではなく、昔どういう場所だったかも探ってみることや、「環境デザイン講義」で解説されているような、「光・音・風・水・熱」の軸でみるとこの環境がもう多角的にみえてきそうで面白そうだ。最近よく岐阜駅に出入りしているが、北と南だけでなく、見た目以上に毛色のような違いを感じているが、それをもっと多重なレイヤーで表現できないものか。
風土の上で巧みに踊る スケートボードカルチャー
ミクロとマクロの違いはあれど、風土によって様々な生活様式がうまれていく、一方で、スケートボードをはじめストリートカルチャーは、風土の上で巧みに踊るような側面を持つ。
スケートボードカルチャーの黎明期の実話を基にして作られた「ロードオブドッグタウン」は、そのことを見事に伝えている。アメリカ西海岸のサーフの文化に染まった若者がスケートボードに乗り換え、高級住宅地に忍び込んで、水が抜けたプールをハーフパイプのように使い、他の地区とはレベルの違う鍛錬を繰り返し、名声を掴んでいく者がいれば、アウトサイダーとして生きていくものなど、70年代、エクストリーム・スポーツの先駆者となった少年たちの革命的実話が描かれる。
映画の中では、スケートボードがいかに空間と時間を再定義、もしくは風土を活かしつつも、その上で巧みに手を変え品を変え、環境と付き合っていくかがみてとれる。
(Go proも無い時代にどうやって撮ってんだ、って思うような映像も多々あり、「キッズ・リターン」meet スケートボードといった感じで、最高です。)
スケートボードの文化の発展が、西海岸のベニス・ビーチ周辺から産まれたというのは、風土によるものかもしれないが、これらの動画をみると、たかが1枚の板、されどその板が”風土を超える”と、見れなくもない。
3坪ハウスは別荘にもなり、基地にもなる
3坪ハウスのふたつの要素
地方での土地が余っている場所において、どのような使われ方をするかに注力しなければ、掘っ建て小屋を建てること、もしくは別荘を建てることとさほど意味は変わらなくなってしまう。今回、引越し時に3人分の荷物を4tトラックで自分たちで運んでデスマーチのような状況や家具を作ることなどで、改めて思い知らされたが、自分たちでやることは確かに面白いけれども、それが目的になってしまうのは経済の合理性がクソだ、とか以前に思考停止になっちゃうね。
今回の3坪ハウスのプロジェクトは知見を得ることはもちろんだが、地方だからこそ3坪ハウスがどのように機能するかを模索したい。別荘としてのスモールハウスではなく、3坪の秘密基地をつくるかの如く。
参考:これからの創造のためのプラットフォーム 第2回「セルフビルドという思想」
トレーラーハウスといえば、「8Mile」や「レスラー」みたいなアメリカの映画における貧者の象徴みたいに描かれていたけど、最近は以下の映画のフードトラックのように、扱われ方が変わってきている。実際、ポートランドや東京でもフードトラック多いしな。
住むとなるとまだまだハードルは高そうだが、こんな暮らしをしている人達も。
不動産情報ってのは改めて、色々と進化しているようで、停まっているようにも思える。前述した岐阜駅における毛色の違いをインフォグラフィックのような表現が、例えば不動産の情報としてあってもいいだろう。都市部では、オルタナティブな物件情報は増えているけど、地方でも今後、需要がありそうだな。宅建取りたいな。
ということで新居の暮らしに思いを巡らせましたが、ひとり分の部屋が空くのでもし住まれたい方がいればご一報を。近くに来ることあれば、気軽に遊びに来て下さい。いい家ですぜ。