2015年5月29日金曜日

ブルーボトルコーヒーと深川不動尊における祈りの作法

モノからコトへ

もはや、古風な趣すら感じさせるこの言い回し、相変わらずよく耳にする。最近は行政周りの仕事もしているが、そこでもしばしば登場する。この言い回しがちょっと汎用的過ぎてるような気がするので、自戒も込めて書いてみる。要するに「コト」を問いただすのには「モノ」について鼻血が出るぐらいに突き詰めんといかんよね、っていう話。

前提として、製品開発やサービス設計の場合として進めていく。

機能中心設計から人間中心設計へ



正確な定義は特にないけど、「モノ」は"所有する喜び"に紐づいたもので、機能のスペック重視によるもの。この機能をより精度を上げるためには「なにを」「どのように」に改良すればよいかを考える。言うなれば昔のエンジニアリングの思考回路というべきか。一方、コトは「なぜ」が念頭におかれ、この機能が必要な理由から始まる。よく「モノ」は眼に見える要素で、「コト」は眼に見えない体験・心情、のように言われるその定義ではなく、設計・企画・デザインにおけるアプローチとしての違いとしておく。

この背景には「サステナビリティ」「コモディティ化」「コミニケーション」のようなキーワードがあるが、ここでは省略。

サービスデザインやUX設計では、人間中心設計が盛んに言及される。簡単に言うと、●●さんはこの状況でこう考えるだろう、それに対してAという機能があったらいいよね、それを実現するためモノの「なにを」「どのように」が組み込まれる。つまり人間中心主義の設計であろうと、どこかのタイミングで機能を軸に考えるタイミングが来る。ここがなんだかんだ大事だなと。


”祈り”としてのブルーボトルコーヒー

先月、東京に行った際、愛するつけ麺「紫の匠」を食べに門前仲町に行くついでに、清澄白河のブルーボトルコーヒーに立ち寄りまして。ブルーボトルコーヒーは単に「コト」というよりも、「コト」を実現するために、突き詰めて産まれた「モノ」の様式美、みたいな印象を受けました。一番感動したのはドリッパーの自動洗浄機。観た人はわかるかもしれないけど、あれって凄くない?



わざわざハンドドリップで入れることを、ロスを減らして実現するためにうまれた「モノ」と言いましょうか。「コト」から始まって、突き詰めてデザインされた道具と空間、つまり「モノ」。実現のためには定量的なデータも伴っていて、これを実現すれば1日あたり●時間のロスが改善され、何ヶ月でこの機能のコストは改修されるみたいな合理的なデータも兼ね備えているでしょう。素晴らしい。。陶器づくりのように量産されるハンドドリップは、もはや「祈り」のようだなと。非合理なモノの中に、コトが内包されていて、その実現のためのさまざまなモノの合理性。冷静と情熱。ツンとデレ。

 

思いつくのが、清澄白河ブルーボトルコーヒーから歩いてすぐの、門前仲町にある深川不動尊だ。良く言えば絢爛豪華、悪く言えばお金のにおいに包まれたこの建造物では、毎日5回のお護摩を行われており、それが凄いんです。

 

ミニシアターみたいな階段作りで、お経がスピーカーから流れ、馬鹿でかい和太鼓とほら貝と鐘の音と重なりあって、その真中では火がボウボウと燃えていて。白熱のジャズセッションの如く、トランス空間だったりしてます。ほんと録音して音源化してほしいわ。お護摩も密教での教え、コトから始まり、その実現のために様々なコトが含まれていて、ひとつひとつの物事には無駄なモノがない。本当によくできている。ブルーボトルコーヒー一号店が清澄白河あることは、関連あるんじゃね、と勘ぐってしまいたくなるぐらい。

肝心のコーヒーは酸味好きの自身が酸っぱいって思うぐらいだったので、皆さん大丈夫か心配でしたが。


ブルーボトルコーヒーが大切にする3つのこと


物理的なモノについての言及だけではなくて、サービスとか仕組みについても同じ。サービスデザインの手法のひとつである、カスタマジャーニーマップ等も、「コト」から始まり「モノ」についての飽くなき追求だ。相撲の作法とかにカスタマジャーニーマップを用いれば、その構造がいかに機能しているのかが見えてきて面白そうだ。

かつて、ブランド品は「モノ」からしか生まれなかった

単に「モノ」から「コト」というのが標語になっちゃって、作り手や産地のこととか、物語とか、共感とかで止まっている事例が多分に溢れているような気もしていて。コンテキストは面白いけど、結局「モノ」だったりするので。そもそもブランド品は「モノ」からしか生まれないというのが、この本に書いてあった。ちょっと長いけど、いいエピソードなので引用します。


日本の女性たちにはイタリアのブランドが大人気ですが、そういうブランドがどうして出てきたかは、考えたことがないのではないでしょうか。 イタリアの大学は五年制ですが、卒業しても二年くらいタダ働きをさせられます。インターンシップ制度が社会の中で確立しているわけです。その後やっと仕事を見つけて就職しても、もらう給料が手取り七万円。女の子たちはその給料を一生懸命に貯めて、毛皮を買うんです。そういう時に買う毛皮は、ロングコートです。仕立てを変えるたびに、ちょっとずつ短くすれば、お婆ちゃんになるまで一生着られるからです。着物と同じ考え方ですね。「若い人が毛皮を着ているから、イタリア人はお金持ちだ」なんて観光できた人は思うかも知れませんが、みんなすごく先のことを考えて買っているんです。 プラダとかグッチなどのファッションは、そういうお客さんたちが育ててきたものです。 p77

「消えるまで費やす」と書いて「消費」ってのは、まさにこのことか。ここで記される製品は、作り手の祈りにたいして、「コト」の成長とも言えるのかもしれない。いい「モノ」作れば売れて、使われるって時代でもないのが難しいところやけど、改めて「コト」について考えるってのは、「モノ」について考えることだよなーと。


なんでこんなことを書いたかというと最近、車を購入しまして、その納車待ちでして。仕事で必要だったりするけど、車がある生活の愉快さを想像すると、超ワクワクしててですね。東京では、車を手に入れる選択肢はまずないけど、ここではたかが移動手段、されど移動手段ですからね。そんなことを考えてたら、

モノ最高じゃん!!!!! 

とか思ったりしてニヤニヤしてまして。

上記の記事は、作り手側からのことやけど、使い手側も「コト」を産むために「モノ」をどう使うかってのも、見せどころではあるぜ!!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2015年4月9日木曜日

新居で暮らしを考える「風土・スケボー・3坪ハウス」


4tトラックに3人分の荷物。泣きそうだった。

引越しから2週間が経ち、新居での生活も慣れ親しんできたのと、引越しを巡る一連が身体への負担が凄かったものの、愉快なものであったので、その忘備録として。

わずか3キロの環境と生活の変化

IAMASの寮から大垣の新幹線沿いのアパートへ。同居人は共にIAMASを卒業して大垣で生き抜く友人。3人だったが、ひとりはめでたく面白い仕事にめぐり合い、わずか2週間での旅立ちとなった。距離にして自転車で15分ほどの距離でしかないが、”住む場所が変えること”の微細な変化が如実に表れてきている。

風景はもちろん、移動手段や、日々の食料の調達、休日の過ごし方までさまざまと変わる。もう暫くすれば、それらは習慣となるか。習慣が変われば、人生も変わる、ってことを野村監督が言っていたような気もするが、あながち間違いではないかも。

「風土」と「生活様式」


和辻哲郎は「風土」の中で、歴史的・社会的に現れる人間の想像力や思惟が風土によって形成されるとし、欧州、アラビア半島、日本での比較を例に挙げている。

日本にとって自然は、火山、地震、津波と時に脅威であるが、五穀豊穣を祈る恵みそのものでもある。自然を制服しようとも、また自然に敵対しようともぜず、反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従をその基質としてみている。

永続性の長久

かたやヨーロッパの風土の特徴を「牧場」としている。工場や機械なども緑の牧場の延長であると。自然の恵みが忍従して待つことだけでは恵みが充分でない一方で、自然に対して不断に敵対的な態度をとらずとも、自然が人を脅かすこともない。人間によって自然が一度、管理されれば従順な生産が生み出せると。これは西洋の哲学が人間中心主義としての哲学が発展してきたこととも通じる。

ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは最初の水道を引いた人物であるが、これが人工によって自然の拘束を打ち破った象徴的な例としている。


またアラビア半島において沙漠とは住むもののない世界であり、沙漠のもつ乾燥はむき出しの脅威である。例えば、ある部族が沙漠の真ん中で東西どちらかの方角にオアシスがあるといった場合、全員でどちらかに行くことは部族全員の死に繋がる。それゆえ、両方に部族の人間がひとりずつ向い、ひとりはオアシスを発見するが、ひとりは死となる可能性がある。部族の死は個人の死でもある。それゆえ人間中心主義以上の部族中心となり、感情の温柔さを顧慮する暇のない不断の意思の緊張、すなわち戦闘的態度が沙漠的人間にとっては不可欠であるとしている。



これらは宗教や文化、建造物、思想の現れについても通じるものとして丁寧に記されている。それらは優劣の問題ではなく、そういうものである。この系譜をもっと風土に加え、地政学などを探っていくと「銃・病原菌・鉄」のように見通しも広がるのだろう。


大きな枠組は、世界中でどこにいっても同じ音楽が聴けるようになったグローバルな現在において、薄れてきているのかと思いきや、近年の情勢をみていると如実にその傾向が良くも悪くも出ているように思える。物騒だけど、節目の時代とも言えるか。

風土の網の目を細かくしていく

日本において、風土をより細かい要素を読み解くことを行っているのが環境デザイナーの廣瀬俊介さんの事例をみてみる。飛騨古川朝霧プロジェクトにおいて、環境、景観という言葉で表されている構成要素を、最低でも3ヶ月かけ、今、目の前に見えている風景がそこに存在する「意味」「理由」「関係性」を微細なスケッチによって徹底的にあぶりだし、一冊の本にし、そこの子供からお年寄りまで幅広い年代に読んでもらうことでその土地の風土を改めて知って活かして残せるための土壌をつくっている。



これらの「風土」と住む場所における生活様式の違いは当然、食事等にも及ぶ。よく日本の海岸線の地域では料理がシンプルなものが多くみられるのは、素材の鮮度が高いため、手を加えずとも美味しく食べれるという話を聞いたことがある。中華の四大料理は北京、上海、四川、広東の風土における違いからだ。四川の麻婆豆腐が辛いのにも、薩摩で芋焼酎が飲まれるにも理由があるんだな。



見えないものに、目を凝らす

多分、前にいた寮と今の家ぐらいの距離でも、環境における「意味」「理由」「関係性」などの違いは結構ある。雑な例だが、新居の近くのスーパーは、以前の最寄りスーパーである全くワクワクしないイオンのスーパーと比べ、商品の品揃えが玄人向けな食品まで取り揃えており、かつ安いことから、日々の料理に磨きがかかっている。さらに謎のフィリピンパブなどや、隠れ家的なお店なども意外とあり、暫くは飽きることがなさそうだ。

現在ある建物だけではなく、昔どういう場所だったかも探ってみることや、「環境デザイン講義」で解説されているような、「光・音・風・水・熱」の軸でみるとこの環境がもう多角的にみえてきそうで面白そうだ。最近よく岐阜駅に出入りしているが、北と南だけでなく、見た目以上に毛色のような違いを感じているが、それをもっと多重なレイヤーで表現できないものか。

風土の上で巧みに踊る スケートボードカルチャー

ミクロとマクロの違いはあれど、風土によって様々な生活様式がうまれていく、一方で、スケートボードをはじめストリートカルチャーは、風土の上で巧みに踊るような側面を持つ。

 

スケートボードカルチャーの黎明期の実話を基にして作られた「ロードオブドッグタウン」は、そのことを見事に伝えている。アメリカ西海岸のサーフの文化に染まった若者がスケートボードに乗り換え、高級住宅地に忍び込んで、水が抜けたプールをハーフパイプのように使い、他の地区とはレベルの違う鍛錬を繰り返し、名声を掴んでいく者がいれば、アウトサイダーとして生きていくものなど、70年代、エクストリーム・スポーツの先駆者となった少年たちの革命的実話­が描かれる。

映画の中では、スケートボードがいかに空間と時間を再定義、もしくは風土を活かしつつも、その上で巧みに手を変え品を変え、環境と付き合っていくかがみてとれる。

(Go proも無い時代にどうやって撮ってんだ、って思うような映像も多々あり、「キッズ・リターン」meet スケートボードといった感じで、最高です。)

スケートボードの文化の発展が、西海岸のベニス・ビーチ周辺から産まれたというのは、風土によるものかもしれないが、これらの動画をみると、たかが1枚の板、されどその板が”風土を超える”と、見れなくもない。



 


3坪ハウスは別荘にもなり、基地にもなる

住まいといえば、現在、3坪ハウスを作って活かすプロジェクトに参加予定である。「夢のマイホーム」という言葉がもはや古風であり、多少のウィットを含んだ言葉としてあるが、3坪ハウスも気を付けないと同じことになってしまう。参考までにこの本を読んだが、正直ココロ踊るものではなかった。言ってることは至極正しいと思うが、それが面白いかどうかは別だ。内容が啓発本っぽいこともあるだろうが。



3坪ハウスのふたつの要素

ひとつは固定資産税が発生しない、つまり経済的メリットと、Small Is Beautiful、断捨離のような物量のある生活を考える機会として。固定資産税が発生しないというのは、土地を持っている人が前提であり、その土地の中での3坪を別書斎にするなり、小商いにするなり、ギャラリーにするなりという生活とは直結しない使われ方は、あくまで生活のオプションである。(もちろんそのオプションゆえに生活の質が上がることはある。)

地方での土地が余っている場所において、どのような使われ方をするかに注力しなければ、掘っ建て小屋を建てること、もしくは別荘を建てることとさほど意味は変わらなくなってしまう。今回、引越し時に3人分の荷物を4tトラックで自分たちで運んでデスマーチのような状況や家具を作ることなどで、改めて思い知らされたが、自分たちでやることは確かに面白いけれども、それが目的になってしまうのは経済の合理性がクソだ、とか以前に思考停止になっちゃうね。

今回の3坪ハウスのプロジェクトは知見を得ることはもちろんだが、地方だからこそ3坪ハウスがどのように機能するかを模索したい。別荘としてのスモールハウスではなく、3坪の秘密基地をつくるかの如く。

参考:これからの創造のためのプラットフォーム 第2回「セルフビルドという思想」





また3坪だったら移動できるんじゃね、ということでトレーラーハウスを調べたけど面白いね。


トレーラーハウスといえば、「8Mile」や「レスラー」みたいなアメリカの映画における貧者の象徴みたいに描かれていたけど、最近は以下の映画のフードトラックのように、扱われ方が変わってきている。実際、ポートランドや東京でもフードトラック多いしな。


住むとなるとまだまだハードルは高そうだが、こんな暮らしをしている人達も。



まあ土地が余っているのであれば、わざわざトレーラーハウスに住まなくてもいいかと思ったりもするが、要はどれを選択するかで、選択肢は多いほうがいい。ちなみに大垣の不動産価格を以前住んでいた中央区と比較を。(2015年3月時)


需要と供給とはいえ、改めて凄いな。今後は人口の差が開くともっと極端になるだろうけど、それに対して、地方に来る人が増える可能性が出たときに、この数字がどう変わるのか興味深い。最近では、現状復帰なしを軸とした不動産会社も増えている。Madcityは不動産だけではないけれども、その代表とも言えるか。

不動産情報ってのは改めて、色々と進化しているようで、停まっているようにも思える。前述した岐阜駅における毛色の違いをインフォグラフィックのような表現が、例えば不動産の情報としてあってもいいだろう。都市部では、オルタナティブな物件情報は増えているけど、地方でも今後、需要がありそうだな。宅建取りたいな。

ということで新居の暮らしに思いを巡らせましたが、ひとり分の部屋が空くのでもし住まれたい方がいればご一報を。近くに来ることあれば、気軽に遊びに来て下さい。いい家ですぜ。


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2015年3月20日金曜日

キエるマキュウから考える ヒップホップの愛と自由


論文やら卒展やらで全然更新できてなかったが、
書きたいことが溜まっているので、今後はちょいちょい書いていく。

今回は年度末ということで、今年よく聴いた音楽について書いてみる。
まずはこちらを。



キエるマキュウが好きだ。funk、soul、funk、モータウンあたりの良質な元ネタから紡ぎだされた綺羅びやかなトラックに、詰め込まれた底抜けに下衆いリリック。虚像と実像を持ち併せ、既存のイデオロギーや価値観を無効に。

そんなキエるマキュウのMCであるMaki the Magicは2013年7月14日、脳内出血のため逝去。上記のトラックはその後、2014年3月26日にトリビュートアルバムとして作られた『DEDICATED TO MAKI THE MAGIC - MAGIC MAGIC MAGIC』のキエるマキュウのトラックだ。まさに永久不滅のふたりだった。その後、2014年7月と10月に2枚のベストアルバムがリリースされた。



ほとんどの曲が既聴だったのだが、年末頃に2枚まとめて手に入れた。「ザ・シークレット・オブ・キエるマキュウ~大リーグボール二号のひみつ」の1曲目「Mawase Roulette」から度肝を抜かれた。完全に別の曲だった。その他の曲も、キエるマキュウのDJ ILLICIT TSUBOIにより、リエディットされていた。ラップは同じでもトラックが完全に別だったり、オリジナルと比べても音質が底上げされていたり、本当に素晴らしいアルバムだった。喫茶店で聴いていた自身は不覚にも涙ぐんでしまった。まさに今できるベストを尽くしたベストアルバム、ヒップホップには自由と愛が許されてるなぁ、つくづく感じた。

RHYMESTER宇多丸による追悼コメントはさらに泣きそうになっちゃう。

ライムスター宇多丸 MAKI THE MAGICへの追悼コメント

ヒップホップの自由と愛とは、なんぞや。
近頃ヒップホップをしばしば聴くその心境の変化とも紐づいているのではないかと、少しヒップホップについて調べてみた。史実というよりも、カルチャーのようなものを。

参考としたのはこれら。
(ヒップホップ・ジェネレーション欲しかったけど高ぇ!!9,000円て!!!)





『文化系のためのヒップホップ入門』の冒頭に、ずばりヒップホップとは何かについての記述がある。

一定のルールのもとで参加者達が優劣を競う合うゲーム、つまりコンセプションです。 p19

この一つとして、音楽として聴くというよりも、その派閥構造だったり、売れ方だったり、ビーフだったり、音楽だけでなく物語まで含めて愉しむということがある。その愉しみ方には慣れ親しんでいる。プロレスがまさにそうである。四角いリングにおける虚構と現実の狭間を愉しむ術をプロレスは教えてくれている。実際に、本の中でヒップホップはプロレスである、という項目があるぐらい。


個人的には物語よりも、その手法に興味がある。サンプリングと言葉の妙をどれだけ味わえるか、ということ。子供の頃からそうだが、ボーカルが入っている曲は、歌詞がほとんど頭に耳に入ってこない。メロディだけ。だから、歌詞で泣いたりすることもなく、歌詞の情緒を感じることがほぼない。一方、ヒップホップは言葉が耳に入ってくる。この違いは何か。それを探るに、少しだけヒップホップの史実を辿る。

ヒップホップの初期衝動 → ジャマイカ

ヒップホップの始まりはジャマイカに辿り、同時にそれはサウンドシステム・レゲエのルーツとも重なる。1950年頃からアメリカのジャズやブギウギを低音を強調したスピーカーを搭載した野外移動ディスコによるパーティが開かれるようになり、それがサウンドシステムの始まりとされる。この場はジャマイカの人々にとって、娯楽の中心であり、出会いの場であり、情報交換や商売の場でもあった。


サウンドシステム、アメリカへ

1962年にジャマイカが独立すると、アメリカへの移民が大量に増え、その多くはマンハッタンの北サウスブロンクスに移り住んだ。


その要因となったのがロバート・モーゼズvsジェイン・ジェイコブスの都市論でも、しばしば事例としてあげられる1960年代のブロンクス横断高速道路の影響だ。当時のブロンクスは白人やユダヤ人など中産階級の人々が暮らす街だったが、家賃負担の大幅な上昇、騒音と排気ガスなどが原因となり、そこに居た人々がブロンクスを出ていってしまう。元々、安価な物件だったことに加え、メンテナンスもされないことから家賃が急落。そこにアフリカ系黒人、ジャマイカ系黒人、ヒスパニックが流れ込むことになった。ニューヨーク市もサウスブロンクスに行政の力を入れなくなっていくと、どんどんとスラム化が進んでいく。


エゲツないのが、この地区の放火である。その犯人はその家の持ち主で、家賃が下がり、キャッシュが入らないくらいなら火災保険でもらうと、さらに保険会社のセールスマンの報酬も出来高であったことから、73年〜77年の間に3万件の放火があったとされる。(単純に1日15〜16件 !!? )これはUrban decay:都心の荒廃として、象徴的な出来事であった。

価値観の逆転。ブレイクビーツ誕生

話をヒップホップに戻すと、当時流行であったニューソウルやR&Bはブロンクスで暮らす人達には洗練されすぎており、自分たちが好むジェイムス・ブラウン等のファンクのレコードを電線から電気を勝手にひっぱり、公園や公民館でパーティを開くことを行う。これはジャマイカで生まれたサウンドシステムの流れであり、ブロック・パーティーはここから始まった。

当時のDJはふたつのターンテーブルとミキサーでレコードを途切れなくかけるだけだったが、ヒップホップ創造者のひとりとされるクール・ハークは、パーティが盛り上がるのは曲の一部分であることに気づいた。有名な例で言うと、ジェームス・ブラウンのFunky Drummerは5分経ってからのドラムブレイクが一番盛り上がっていた。2枚のレコードで、その部分をフェーダーを使って繋げたのだ。これがブレイクビーツの始まり。ちなみにクール・ハークがパーティを開く動機は娘の学校に行くための服代を稼ぐという、完全なるジャイアン・リサイタルといういい話付き。

5:34からのドラムブレイクからヒップホップの歴史が動き始める

これ以降、50セントや1ドルで売られているようなロックをはじめ様々なレコードをディグる行為が行われ、大量のブレイクビーツが産み出されていった。その後、サンプリングに繋がるわけだが、この部分だけ抜き出して繋ぐ、という行為が革命的な発明だと改めて思う。この試みはストリートカルチャーだったり、フリーカルチャーの思想にも通じるし、巨人の肩で踊る行為とも言ってもいい。ラップも同様でブロック・パーティー時代に大量に作られたフレーズやパンチラインが和歌で言う、本家取りのようなカタチで築かれていく。ひとつの元ネタでどれだけ変奏できるかに面白味を見出すということだ。

ロックも先駆者の影響を受けて新たに更新されたとも言える。例えば、StrokesのデビューアルバムにはCUREのベースラインを丸パクリしている曲があると公言しているし、言うなればロックが「参照」とすれば、ヒップホップの場合は「編集」と言える。

この後、アフリカ・バンバータが「クラフトワークはファンクだ」という名言の裏側には資本主義体制の奴隷化→ロボットを自覚的であることで、支配/被支配の構造を転覆するアフロ・フューチャリズムの話だったり(坂本慎太郎!!!)、デフ・ジャムの降盛、ギャングスターの登場による画一化のイメージ、凄惨なビーフといったヒップホップ叙事詩が語られるがそれは長くなるので読んで頂ければと。いくつかその中にあった曲を紹介。

ニューウェーブとヒップホップの邂逅

ブレイクビーツの初期の傑作

サンプリング時代以降の格段に音がよくなったヒップホップ

もうひとつ興味深かったのはロック/フォークとヒップホップを比較した「ドロップ・イン」「ドロップ・アウト」の話も紹介する。

ロックは成功が皮肉に、ヒップホップはステータスに

ステレオタイプの論調っぽいけど、ロックが「資本主義社会の中核を担う中産階級からのドロップアウト」だとすると、ヒップホップは資本主義から締め出されちゃった人が、文字通り言葉の力で資本主義に参入していくための手段で、これがドロップイン。ロックで成功して、ドロップアウトを歌うことに必然的に矛盾が産まれていき、中ではジム・モリソンやカート・コバーンのような道をたどる人がいる。一方、ヒップホップは成功することへの葛藤が全くないため、これみよがしにデカい家や高級車を手に入れる。ただ、他殺される恐れがあると。

ハッシュタグ ラッパーの車

またロックでよく使われる常套句として「天才」「偉大なアーティスト」という言葉の背景には、心の内面、遡ると西洋の宗教儀礼的な告白に由来していることに対して、ヒップホップは作品を作り出すきっかけが「内」ではなく「外」にあり、さらにロックが「個」であることに対して、ヒップホップが「場」に即するとも言及している。ロックのオリジナル信仰と同義で、一人のスターがあられることにより新しいシーンが産まれ、そのフォロアーが量産される。ヒップホップは皆がトップを争ってボトムをあげていくイメージ。実際にヒップホップは他のジャンルの音楽と比較しても、誕生から凄まじいスピードで変容を繰り返している。

(これはもしや柳宗悦が時代が超越的な天才のつくる工芸品に嫌気を思い、下手物とされていた民芸品に光を見出した行為とも似てるとも言える。ある意味、民藝を進めていた濱田庄司や芹沢けい介はクルーともいえなくもない・・??)

サンプリングや、ブレイクビーツ、本家取りのようなラップのことでもあり、さらに語られる言葉は、抽象的ではなくその場のリアリティが伺えるものだ。多分、自身が歌詞が耳に入ってくる違いはこのあたりにあるのかもしれない。事例としてこの曲を。


キエるマキュウ屈指の多幸感溢れるアンセム「do the handsome」。この曲のフレーズは当時のレコーディング・スタジオに転がっていた風俗情報誌にあったキャッチを、サンプリングしてそのまま使用したという。「外」というにはあまりに直接的すぎる気もするが、このエピソードは大好きだ。

ヒップホップは過去のデータベース、周りの環境、場にアクセスし、その中で作品の妙を産み出していく。ヒップホップならなんでもイケるわけでもなく、様々なジャンルの音楽を源流としているヒップホップが好きだ。日本で言うと、キエるマキュウもそうだし、田我流、鎮座ドープネス、Oliveoil、Febb等々。(K-bongと田我流のインタビューは良かった。)一方で、AKLOとかSALU等には洗練されすぎてて、J-pop職人みたいなトラックだからなのか、コク深さをあまり感じない。ギャングスタヒップホップも同様だ。

地方主義とヒップホップ

ブロック・パーティーから始まり、ドロップインの構図からみるヒップホップに通底しているスタンスというのは、その場をどうにかして心地良いものにするために働く。レペゼンという言葉に象徴されるように地元主義が強いヒップホップではあるが、日本のヒップホップシーンを見ると、それが顕著にみることができる。


著者、都築響一は2005年の著書「夜露死苦現代詩」の中で、死刑囚の俳句、障害者のつぶやき、暴走族の特攻服の刺繍詩まで、言葉のもつリアリティ、強度が現代詩人よりもはるかに胸を打つ言葉として紹介していた。そしてそこから6年後、詩人たる言葉を持った人達を地方にいるラッパーに見出し、そのインタビューをまとめた本だ。

この中に田我流のインタビューがある。「B級映画のように 2」の後半のトラック、stillichimiyaの陽気な面では観ることができない、痛みを感じる心の吐露がどのように産まれていたのかがわかる。ギャングでもないし、タフでも、マッチョでもない。ビッチやドラッグにも謳わず、都会的ですらない。退屈な地方の日常にある一握りの希求が込められている。それらはまるで妙好人のようでもある。


現在のstillichimiyaのメンバーは映画「サウダージ」で描かれていたような、地方での焦燥感からブレイクスルーし、MMMとMr麿はスタジオ石で活動してたり、young-gはトラックメイカーとしてやってたり、山梨を軸に愉快な感じでやっている。


定期的に配信される田我流が地元一宮を紹介する「うぇるかむとぅやまなし」や釣り動画は自虐的でもなければ、地域礼賛でもない、地続きの日常が垣間見れる。


これも好き。


その場のリアリティを表現するという意味で、地域におけるヒップホップは代わり映えしない日常さえもひとつの要素として変奏される。それも含めて「一定のルールのもとで参加者達が優劣を競う合うゲーム、つまりコンセプション」として見ると味わい深い。ボリス・ヴィアンのように音楽、ファッション、文筆家と様々な面を持つ菊地成孔がOMSBをぺぺ・トルメント・アスカラールとコラボさせたり、JAZZDOMMUNISTERSでヒップホップを始めたのも、なんだか理解ができる。

【インタビュー】 DCPRG 菊地成孔 × ヒップホップ

自身の論文の中でローカリズムについて述べた。簡単に言うとグローバリズムに内包される価値算出のためのローカリズムではなく、持続可能である生態系を持ったローカリズムがあるし、必要だと。それは身内で閉鎖的になることでは決して無く、マイルドヤンキーとも決定的に異なる。論文には入れなかったけれども、頭の片隅にはずっとstillichimiyaや地方で活躍するヒップホップの人達が浮かんで、たまに論文の中で、なんとなく韻を踏んだりしては、やべぇやべぇって書きなおしを繰り返していた。地域復興、まちおこし等に関わる人達は、たぶんこのことは無視できないことだと思ったりする。

これはヒップホップに限らず、音楽全般に言えることなのかもしれないけれど、長くなりそうなので、またどこかで。

メジャーフィールドで躍る、2人の地方在住者 - SALU×tofubeats対談 - 音楽ナタリー

これまで長々とヒップホップについて書いてきたけど、2015年度、圧倒的に聴く、というか既に聴いてるアルバムとして最後に紹介するのが5年ぶりのアルバムが4月29日に発売されるnetworks。ここ2年、離れてみて改めてわかるnetworksの祈りと言いましょうか、あまり言葉にすると嫁の可愛さを紹介するみたいな、野暮な感じになりそうなのであれですが、ローカリズムが都市でも実践できることを一番近くで示してくれていたのが彼らかもしれないなぁ、と最近よく感じたりしています。なにはともあれ、日常に余りある祝祭をこのアルバムがもたらしてくるのは間違いないんで。なんせ、DYNAMIC NATUREですから。








5年って、ほんと凄いね。ちなみに、キエるマキュウはジャケットで紙袋をかぶっておりましたが、どうやらnetworksもダンボールをかぶっております。なんだろうね、かぶりたい人達が好きなのかもしれませんね。おれもがんばる。do the handsome。




  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2014年12月18日木曜日

Radとは「既成事実をつくること」 Radlocal 4日間の記録と考察




前回の投稿で長すぎる枕を経て、radlocalの体験記を自身のメモを兼ねて記載していく。

あらためてYCAMで行われた4日間のradlocalはどのようなものであったか。
Radlocalの特設サイトにこのように記載されている。

http://radlocal.ycam.jp/

デジタル時代の「地域×メディア」について、
可能性と課題を問う3日間の集中ワークショップ 
インターネットやテクノロジーの急速な発展にともなって、私たちを取り巻く暮らしも加速度的に進化しています。日々革新されるメディアテクノロジーとともに地域のことを考えたとき、どのような創造性が生まれ得るのでしょうか?

今回の企画はYCAMやゲストの持つリファレンスから地域×メディアの可能性を探ること、それはテクノロジーの考察を広げ、深めるというより、むしろ地域に潜伏している”素材”もしくは”富”というのをどのようにして発見して、拡張させるかを考える機会なのだろう。


【 初日 】個人が持つ発展の可能性について


初日はYCAMから車で50分ほどかけたところにある阿東町の阿東文庫へフィールドワークをおこなった。フィールドワークといっても、何か調べるというよりは、阿東にいる人達の話を聞く機会である。



そもそもRADROCALのベースとなった、YCAMの”地域に潜るアジア”がまさに素材・富を拡張させたプロジェクトで、その始まりは阿東町に生きるRadな人々を発見し、拡張したことにあったそうだ。


阿東町にて知恵と技術の邂逅

企画段階でYCAMメンバー及びインドネシアのアーティスであるヴェンザ・クリストが阿東町を訪れた。そこでの邂逅が凄い。あるおじいさんが凄まじい勉強家、むしろ知の巨人と言えそうなぐらい物事に精通し、米についての研究を独自で行い、ひとりでアメリカに出向いては研究者とガンガン議論を行ったりする人物であったこと。そしてインドネシアでHONF Fob LabやHONF-Micronation/Macronation Projectを行っており、今ではインドネシアのロックスター的な人物であるヴェンザ・クリストが、自ら行っているアクティビティとおじいさんのアクティビティがシンクロし、話がドライブするダイナミズムこそ、「地域に潜るアジア」の発露であったそうだ。





さらにヨシミさんという別のおじいさんは阿東町にある廃校舎に本を集積して、その街の知の拠点として確立しようと暗躍し、行政には既成事実で認めさせるという、これぞラッドなアクティビティを示す。そこは、定期的に農業、政治、社会情勢について白熱した議論を交わしているというYAVAY場所なのである。(後日行われた懇談会で、ヨシミさんと話をしたが、最高だった。説教的な態度は皆無で、こちらと対話を重ね、その上で説得力のある話がどんどん広がる!刺激的!!)

眼から鱗なやんちゃなおじいさん達の話を伺った後は、地域おこし協力隊の方々によるイノシシの猟について学び、旨すぎる甘酒、おしるこ、イノシシ鍋を堪能する。


恐らく全体を通して、初日の阿東文庫でのフィールドワークは現時点において、スケールとしては小さいかもしれないが、「個人が持つ発展の可能性」としては最高であった。それゆえに、参加者も登壇者も全員参加できれば、、



【 2日目 】あの鐘を鳴らすのは俺

2日目の講師は桂英史さん(俗称:カツラッド)で、ここでは、桂さんが過去に取り組まれたプロジェクトを軸に話を進められていた。基本的にはスケールのデカい話ばかりなのではあるが、要はプロジェクトに関わるようになった動機というものが大事であって、“市民のため”なんてものは役所のエクスキューズでしかない。


せんだいメディアテークの場合は、ネクストレベルの文化施設の可能性を桂さんがその名前とコンセプトに感じたからだそうだ。別の言い方をすると将来的に食っていける道があるかもしれない、もちろん純粋にその必要性も感じていることも含む。プロジェクトが進むに連れて金がペイできなくて離脱したメンバーも沢山いたそうだ(一昔前のプロレス業界みたいだ。)。結果的には桂さんは「自身の携わった成果として、そしてペイの回収のため、「せんだいメディアテークコンセプトブック」をつくる。そのタイミングまで含めて、と非常に示唆を得る内容であった。


箱物プロジェクトに関しての発言権は、建築家 > 役所 >「ユーザーのことを考える人」なのだが、「ユーザーのことを考える人」がどのぐらいプロジェクトに腰を据えているかでディテールが決まり、それは成否は変わるということ。実際に自身も過去のプロジェクトやCCC時代の仕事を振り返ってみても、たぶんそれは原理原則であろう。つまりはあの鐘を鳴らすのはあなたではなく、俺なのだと。



【ワークショップその1】 「日常にあるバリア」


ワークショップでは「日常にあるバリア」を発見し、それを融和させる取り組みというテーマでグループワークを行う。利害相反するふたつの集団を融和させるところに取り組むべき可能性がある。それを踏まえて、この目的は大きく2つあったのではないか。ひとつはディスカッションのプロセスを細かく写真で記録をおこなったが、その思考プロセスを振り返る手法を知ること。


もうひとつはプロジェクトとなった場合に、動機をどこまで自身に担保できるかを探ること。市民のため、ということを言いたくなるけど、結局は上記したように、自分がそれを行うことでお金にしろ、自己の欲求にしろペイできる可能性を推し量り、それと向き合う覚悟を感じさせるための機会だったのではないだろうか。



【3日目 】 テクノロジーが紡ぐ生態系の話

前半の講義はRhizomatiks代表取締役およびクリエイティブ・テクニカル・ディレクター
の齋藤精一さん。

齋藤さんは学生時代から建築を軸に動いていたけども、どうやら建築は自身が思っているよりも狭い世界であった(当時の話としてみれる)。その後アーティストとして活動していくも、アートの世界も想像以上に閉じた世界であった。作る人、観る人、批評する人、全部同じ穴のムジナ。そして何より食えない。そのため、生存戦略としてエンターテイメント・コマースの世界に道を広げた。ただ、その生存戦略以上の可能性があるという話だ。

それは人の心が動く空間やモノについての話だったりする。例えば、セナのCMで担当技術者が涙をながした。データは見せ方によって人を感動させることができる。






またHYPER NEBUTAの事例では、元々この案件がねぶた師の人からの要請であり、結果翌日の新聞で一面を飾ることになり、保守的な人達から文句的なものもあったが、でも、子供もおじいちゃんも面白がっていた。それ以降、LEDや照明についての議論が起こり、文化として守るものは大事だけど、新陳代謝がおきる可能性について。




そしてPerfumeで使用されたモーションキャプチャーデータは公開されており、それが大学での教材として使われている事例についてなど。

http://perfume-dev.github.io/
http://www.perfume-global.com/


commerce × ART × R&Dという生態系

齋藤さんはその発展の仕方をAds+ART+R&Dという言葉で表現していた。アートで技術や思想を構築する、それをエンターテイメントやコマースの分野で拡散する、さらにそれが次の探求、議論、学び、発展を呼び起こすというサイクル。この話はYCAMが目指し、実践しているメソッドとも近いものを感じる。それは2010年のEyeWriterプロジェクトから端を発している。




InterLabの伊藤隆之さんがアメリカニューヨークで1年間滞在時にEyeWriterプロジェクトにプログラマーとして参加し、それをYCAMで作品展示としてみせた、その後ワークショップとなり、鑑賞とディスカッションを行い、その一連をネットでオープン化した。YCAMの生態系とも言うべきそのスキームも、ライゾマティクスが目指すそのスキームもアプローチは若干異なるも、同じようなカタチをしているのではないか。正直、iamasもなぁ、とか思ってしまうが長くなりそうなので止めておく。


アトラクターは賞味期限ではない。

さらに齋藤さんは必要な要素として「アトラクター」の必要性を語っていた。これは例えばTSUTAYAがスタバを併設しているから足を運びたくなる要素のようなもの、と言っていたがあんまりいい例えではないかもしれない。というのも、そのコンテンツが持つ賞味期限のようなものと捉えてしまいそうなので。本当は消費と生産(広義での)の両方のサイクルでの持続のための訴求力のことだろう。消費の面からみれば、それは資本の論理で相対化が起きることで終わってしまう。まさにPerfumeの教材事例は「消費」と「生産」の両サイクルで良いアトラクターを持った事例だろう。


【ワークショップその2】 アトラクターのある仕組み・組織づくり

その後のワークショップでは「現存する文化施設をさらに活用するために、作るべき仕組み、もしくは作るべき組織」を考えるというものであった。これはまさに一過性のマーケティング手法ではなく、人を動かすための「アトラクター」の具体的な提案として。ただプレゼン資料まで含めて1時間という短い時間であり、アイデアソンにしたのは、言うは易しということを本人が一番わかってらっしゃるからであろう。割と強引に以前やろうとしていたアイデアを持ち込み、メンバーの皆さま気苦労おかけいたしました。

それにしても斎藤さんの語り口というのはなんとまあ、腰は低いけど耳を傾けてしまう、というような、素敵な語り口であることか。パパっぷりも素敵でした。


詰まるところ、愛についての話

その後の講演でWIRED編集長である若林恵さんが登場する。プロジェクターを使わずに手ぶらでの登壇で、探りつつの話であったが個人的にはグッと来る内容であった。

話は多岐に渡る。例えばWIREDがテクノロジーを軸として、3つのマーケットを相手にしている話。読者と広告クライアントと情報のサプライヤー(写真を提供してくれる人、イラスト、載って欲しい人)だ。ちなみに直近の過去3号(コーヒー、ファッション、死)はまさにそれぞれの人達に向けて作られているらしい。



またボトムアップとトップダウンについては、どちらも過大に評価すべきでもなく、ただ近づける必要はあるという話。例えば、アメリカでビヨンセのレビューを探すと上級誌がこぞってレビューを載せている。ニューヨーク・タイムズ、ローリング・ストーンズなどなど。そこから個人のブログに落ちていくという、情報のグラデーションがある。日本の場合はレコード会社が書いた記事を上位が占め、なんならブログ等でも個人がコピペする。テレビとyahooニュースの中でぐるぐる回っている、という話など。

極端とも言えるのだが、さまざまと話を聞いていて感じるのは、若林さんは多様性を信じているけど、その過程で発生するプロの作法みたいものは絶対に疎かにしてはいけない、そして、作り手に対する敬意を払うことを忘れてはいけない、ということが通底していたのではないか。

また別の話で、この街はこれで食っていく!というのは危険、というか今の時代に合っていないと言う。つまり、一部の影響力で決めていくというよりも、街の中で多発的に自発性が誘発させるかということだ。

Bjork’s island(参照)http://amass.jp/17220/

その流れでアイスランドの音楽事情の話が興味深い。現在、BjorkやSigur Ros等アーティスの影響で、音楽を軸とした国の動きが始まっているらしい。ある種の誇りとして、そこに暮らす人達が盛り上げる状態が自然と発生しているとか。Bjorkが出てきた時に、それを面白がる人達、凄いヘンテコな才能が出てきた時に、それをスケールさせる人が必要ということだ。その話を聞いて、実際にクール・ジャパンとかも構図としては一緒にみえるんだけど、決定的に違う、それは本当に詰まるところ”愛”なんじゃなかろうか。それは日本の地域でも同じ構図だ。

最後に以前、WIREDで掲載したCANのダモ鈴木の話をされていた。

CANからマーズ・ヴォルタへ。ダモ鈴木の過去・現在と見果てぬフューチャー・デイズ

この記事が1000イイね!された時に一番驚いていた人達は音楽業界の人達なんだとか。「私たち何処見て仕事していたんでしょうね…」という話で。これは編集者としてカタルシスかもしれないが、前述した、凄いヘンテコな才能を面白がる人達の重要性の話にも繋がる。そして面白がる人達は、視野を広げたり、別のアングルから見ると、なんだかんだいるという話でもある。

たばこトークでイリイチの話となり、若林さんとしては、WIREDの誌面上でイリイチを改めて再構成しているという事を伺って、なるほど、という妙に納得してしまった。イリイチの言葉をRADLOCALの視点からみてもかなり面白いし、多くの示唆を得ることは間違いない。


余談だが、若林さんの話を聞いていると、CCC時代に出会った素敵な愛すべき大人達を思い出す。極端な言い回しだが、世間的には野ざらしなことに対しても、どこか偏狭的な愛というのか、エモさを多分に感じました。好きですね、こういう大人。



【 最終日 】 フラッシュバック会社員時代 お金は大事

いよいよ、最終日。
字数がえげつなくなってきているが、もう少しだ。。

午前中の講演は『greenz.jp』副編集長、NPO法人グリーンズ理事の小野 裕之さん。実は同じ歳という事実に揺さぶられる。(ちなみに白鵬も同じ年。)


greenzの中では編集というよりは、「ほしい未来はつくる」というコンセプトを実現のために、WEBメディアでは扱いきれないビジネスを通じて、ミッションを達成しソーシャルデザインの生態系づくりを行っている御方である。

例えばgreenzの収益は広告よりも新規事業開発をやっている。YAMAHAと連動して、音楽でコミニティをつくったり、全国200箇所ぐらいでDIY発電カルチャーを広げるワークショップしたり、東京の真ん中に新しい「まち」をつくるため「リトルトーキョー」という取り組みをしたりと様々だ。

リトルトーキョー

どのようにプロジェクトを具現化、収益化していくかの思考プロセスを分類×ビジネスモデルとして話されていた。具体的には、WEB・場所・タブロイド・場・イベントを分類とし、それに広告・課金・物販・コンサル・マーケットプレスといったモデルを掛け合わせること。普段から事業をそういう目でウォッチしておられ、例えば、ほぼ日の場合はウェブ×物販、R不動産はウェブ×広告(小さいクライアント)、離島経済新聞はタブロイド×ユーザー課金、暮しの手帖は雑誌×ユーザー課金(8割定期購読)みたいな。


その辺りは、何と言うか、自身のCCC時代においてサービス企画をバリバリに行っていた時の思考回路がフラッシュバックするというか、iamasに来て削ぎ落とされたのか、削ぎ落ちていったものが濃縮して飛び込んで来るような、ありがたい体験だった。


小野さんの凄いのは、成長モデルのメソッドを模索しつつも、ライターさんとの関係性や、ライフワークを含む、富の再分配のような視点も併せて持っていて、これは次世代型のリクルート感とでも言うべきか。多分、今のgreenzの躍進は小野さんの存在が大きいのは間違いない。


そういう意味で、逆にこの2年間はこのタイプの人は周りにあまりいなかったなぁ、というのを改めて気づかされる。iamasにいたら、と想像すると、恐ろしいような愉快なような。エモさ100%みたいな人ばっかりなので。ともあれ、今の活動も継続させるために、忘却されていた思考回路を呼び覚ます必要性も、改めて感じさせてくれた。



【ワークショップ3回目】 収益モデルに付随する心の所作とは



午後は最後のワークショップ。昨日のワークショップでうまれたアイデアを基にビジネスモデル・ジェネレーションを参照し、その体系に落としこんでいくという内容であった。





この要素の中で一番重要なのはVALUE(VP)であろう。これがビジネス上の取り組みであれば収益という意味でのVALUEで問題ないが、今回のRADROCALの観点で見るとすれば、収益の土台であるけど、一見収益に結びつきそうにないVALUEを見たほうがいいような気もする。だから参考としてAmazonは多分まずくて、もっと多層的なレイヤーのフレームワークがありそうな気がする。


それはワークショップ後のFabLabKamakura,LLC 代表である渡辺 ゆうかさんの講演の中で、個人的に一番の転機と思えるのが朝ファブの話という事にも繋がる。来てもらう人達が、あまりに多く、何故か怒られ、憔悴していった半年間を経験し、その後にサービスではなく、やってもらえる意識を変えるために、毎週月曜日の9時から掃除をした人だけ利用できるようにした、という話だ。その後のKULUSKAの事例も、Fab×TraditionalとしてのFUJIMOCK FESもそれがあったから生まれて生きている。


朝ファブ


SWAT分析とかビジネスモデル・ジェネレーションは詰まるところ「選択と集中」を行うべき手法だ。それは事業投資であったり、収益としてのVALUE、つまり等価としてのVALUEには有効だけれども、その土台となる別のレイヤーを分析するには別の手法が必要なのではないだろうか。渡辺さんはそれに気づいているからこそ、朝ファブの取り組みを体系的に毎回記録して、分析できるようにしてるのではないか。


(参照元:http://www.patinunezagency.com/fab-lab-house/)



バルセロナのFabCity構想などは完全にこの多層なレイヤーをどこまで丁寧につくり上げるかで、それが既存の都市の構造とは異なる”発展”というものが見えてくるのではないか。


バルセロナのFabCity構想


とはいえ、同時にキャッシュもやっぱり大事であることは言葉の節々から伝わってくる。それは数々のFabの現状をみて3つの失敗モデル①助成金モデル(3年間) /②最初からビジネスモデルを進めると軌道しない/③時代が早すぎた(うまくコミニティが作れなかった)の話もそうだし、事業を維持していくための葛藤があったからこそ重みがある。




怒涛の4日間を経て


実は渡邊ゆうかさんの話は、以前に渡邊さんがiamasに来られた時に聞いた話が結構かぶる部分もあった。ただ、改めて伺う中で、以前は気付かなかったことの多さに自身でも驚いた。恐らく、1年の活動が大きいのだろうか。4日間全体通して言えるが、実践として動いていたことで、そこを軸として考えることができたのは有難かった。去年の段階でこのワークショップに参加していたのであれば、多くが仮想の出来事として通り過ぎていったような気もする。



また全体のワークショップを通して、思った以上にお金の話が出てきたことは良い意味で期待を裏切ってくれた。現在、ピケティの「21世紀の資本」が世界的に議論の材料となっている(高い!!そして分厚い!!)。地域について考える場合も、というか地域だからこそこの論争は必須なのだろう。富というのが、単純にお金的な意味ではなく、もっと何気ない特技だったり、廃墟だったり、関係性だったり、もっと多様にあり、暮らす人達が”愉しむ”過程においても、再分配は行われるんじゃないかと、今回のワークショップは、そんな考えを巡らせる本当に良い時間を過ごさせてもらった。まあ何が一番Radだったか、と言うと阿東町で聞いた「既成事実を作ったらええ」だったりしたのだが。(まかり間違えればテロリストやで!)


信じられない長さになってしまったが、宿泊させて頂いたMACが外と家の中が同じ気温だったこと等々くだらない話も書ききれない4日間で、YCAMの皆さま、ゲストの皆さま、参加されていたRadな皆さま共々、本当にいい刺激を頂きました。多分また会うでしょうし、いい形で報告できるように精進します。



野郎たちで食べる朝食@MAC

  • このエントリーをはてなブックマークに追加